おねーちゃんとの仲良しツーショット。
旅立ちの3時間半前で状況は深刻でしたが、私にとって大切であり、大好きな写真です。ウェブカメラで撮りました。
2人がこんなに仲良しになれたのも、ロッタが病気になってからです。それまでは、私を取り合うライバルみたいな関係でした。気が強くて要領が良くて悪知恵が働き、時に暴力も辞さないロッタに娘はやられっ放しでした。よく泣かされてたね😊
ロッタの旅立ちの記録です。
ロッタがピタリとご飯を食べなくなったのは、亡くなる2日前の11日の夜です。沢山の薬の中でもステロイドと免疫抑制剤は最低限の命綱なので、それだけは手で口を開けさせて飲ませました。
すると、翌日の朝からもう僅かなお水しか飲まない.....。1人にするのは心配だったので、この日は私の実家に預けて夕方から病院へ連れて行きました。
実は前日に受診した検査では、貧血の値が少し下がったくらいでした。血小板もかなり改善されていたので、問題は食欲不振だけ。心臓はしっかりしていて、肺の音も綺麗。腎臓はBUNは高いものクレアチニンは正常値でそこまで深刻でなく、食欲不振ばかりはどうしようもないという事で、下痢止めと吐き気止めの注射、皮下輸液を入れて貰って帰宅しました。
しかし、ロッタはその夜から頑としてお口を開けなくなりました。閉じたお口をめくると、ギーって凄い力で食いしばった歯があって、お水さえ拒否するようになりました。かろうじてステロイドだけ飲ませましたが、夜中のシクロスポリン(免疫抑制剤)は難しいと思いました。
その夜、たくさんの事を考えました。
ご飯と薬を拒否する他は、いつもと変わらないロッタです。自力で起き上がれなくて状態は落ちているけど、これは一過性のもので、胃腸の調子が戻ればまた復活するのかな。
脱毛は甲状腺機能低下症のせいで、ホルモンのお薬を飲めば春くらいには、またフサフサになるのかな。
腎臓も、この前までお肉やお魚を欲しがるだけ食べていたからBUNが高いのは仕方ないかな。
そんな前向きな事を考えているうちに、シクロスポリンを飲ませる時間になりました。でも、ポジティブな考え事とは裏腹にどうしても薬に手が伸びませんでした。
ぼーっと寝ているロッタを撫でていると、背中の骨がゴツゴツでした。脱毛も凄くて、後頭部も手も足も、白い地肌と細い骨がむき出しです。僅かに残ったトップノットだけど、バレッタも無理なくらいスカスカで、結わえられなくなるのも時間の問題でした。お尻も胸も触れるのは骨と皮だけ。
病気になってからの5年の間に、ロッタは目で見る事、飛び跳ねる事、走り回る事、ツヤツヤの被毛、好きに動く事、最近は食べる楽しみさえ無くしていました。逆に言うと、今までリカバリーしてこれたのは、これだけのものを生きる為に引き換えにしてきたからかもしれない。
ああ。
頑張ってくれていたんだなぁ。
ギリギリなんだろうな。
ロッタが穏やかであればそれ以上望まない。
そう思って「シクロスポリン飲まなくていいよ」って言いました。心を鬼にして薬を飲ませる事に、もう意味はないと思いました。終末期を悟ったのはこの時です。
夜中、うつ伏せで静かに寝ていたロッタが、急に顔を上げると、私に向かって「ワンッ、ワンッ」ってしっかりした声で吠えました。久しぶりに聞いた、何かして欲しい時のロッタの要求吠えでした。驚いて見ると、ロッタは元気が戻ったようなまん丸お目目で、私に何か訴えていました。
オシッコかと思ったけど違って、お水も要らないというので暫く抱っこしていました。抱っこの体制がしんどそうなので毛布の上に戻すと眠りました。私もつられてうつらうつら.....。
そうすると、また「ワンッ、ワンッ」ってロッタの要求吠えが始まって、今度は私をさっきより強い目線で真っ直ぐ見ていて.....。
「もしかして、もうお別れだから家族を呼んで欲しいと頼んでいる?」咄嗟にそう感じました。こういう時に、大抵の人はそうして家族全員で看取るものなのでしょうか。私は数秒迷って、気付かないフリをしてしまいました。
ずっとロッタを見ていた私でさえ、何時間か前に終末期を悟って愕然としたばかりです。家族を呼んでも娘はパニックになるだろうし、主人に至ってはさほど深刻とも思っていない様子なので、ロッタは不本意かもしれないけど、「その時」は腹を括った私だけで迎えるつもりでした。
ロッタはそれからもう一度だけ、まん丸お目目で私を見ながら、今度は「わふわふ」言いました。それがあまりに可愛いお顔だったので写真に撮ろうと思ったのですが、レンズを通すより直に見る方が断然可愛かったので、スマホは置いてしまいました。一枚撮れば良かったな.....。
今思えば、この夜の事がロッタが私と交わしてくれたお別れでした。
朝になり、「ステロイドも、もう止めよう」って言うと、ロッタは口を開けてスプーンで上手にお水を飲んで、甘酒も飲んで、ヨーグルトもたくさん食べてくれました。お水をコクって喉を鳴らして飲んで、ヨーグルトは舌をペロペロさせて一生懸命食べてくれました。
この日は娘の学校がお休みだったので、まだ寝ている娘を起こして、ロッタの状態がかなり悪い事を告げました。「ステロイドも免疫抑制剤も止めたから。納得いかなかったら自分の手で飲ませなさい」とも。
娘も何となく解っていたと思いますが、ロッタの傍で過ごしながら、ここまで悪いとは思っていなかったようでした。
娘に「今だとしてもロッタが決めた事だから受け止めて欲しい」と言いながら、私はロッタが決める「その時」は夜だろうと勝手に思っていました。今日かもしれないし一週間後かもしれないけど、昨夜のように長く眠れない夜を過ごしながら、今度こそロッタの出すサインに応えて家族を呼び、皆で看取るつもりでした。
次回の受診日は、11月16日。
もう血液検査は必要ないかなって思いました。自己判断でお薬を全て止めてしまったし、ほぼ食べていないので貧血は進んでいるだろうし、検査の数値にはもう意味がないと思いました。それよりもロッタに負担がないように、貴重な血液を温存してやりたかった。そして、もし回復の兆しが見えるようなら、その応援として毎日補液に通うのもいいかな。
こんなふうに、考えていました。
デスクワークなので、ロッタの様子はウェブカメラと娘からのラインで仕事の合間に確認出来ました。
3時になったらお水を飲ませると聞いていたので、その時間にウェブカメラを確認すると、ロッタはいつものようにうつ伏せで寝ていました。娘がお水を飲ませてくれたのを見て暫くして「ロッタがしんどそう」という内容のラインが入りました。カメラに映るロッタは、昨夜のようにうつ伏せで少し身体を起こすようにしてハッハッって短い荒い息をしていました。間もなく娘が抱き上げてロッタの姿が視界から消え、私はその瞬間にロッタが亡くなったと悟りました。
電話で泣いている娘にロッタを看取ってくれたお礼を言い、会社は早退させて貰いました。途中で主人と母に電話を入れました。実家では、昨日の早朝から夕方まで過ごしたばかり。主人に至っては食事もお水も摂らない姿を間近で見ていたはずなのに、亡くなった事を伝えた途端、二人とも絶句しました。
私はとにかくロッタに会いたくて、一人でロッタを看取った娘の事も心配で、一刻も早く家に帰りたい気持ちで車を走らせました。
部屋に入ると、ロッタはまだ娘のお膝で抱っこされたままでした。腕に抱くとたった1.65kgなのに、今までの抱っこで一番重く感じました。何があっても、持ち前の負けん気で頑張ってきたロッタが、私に初めて全てを委ねてくれたような気がしました。
旅立ったロッタの身体を綺麗にしたのもハーブのお湯です。カモミールとローズを使って、ふわふわのサラサラにしてやりました。綺麗になって赤いおリボンを着けたロッタは、親ばかですが、お姫さまのようでした💓
カモミールの香りは気持ちが落ち着き、ローズの香りは沈んだ気持ちが前向きになれます。その効果もあり、涙も止まって娘と二人、競うように「可愛いなぁ」と言い合いました。
主人は.....。
いつも通りに仕事を終えて夜に帰ってきました。部屋に入るなり「はい」って差し出したのが、たい焼きの入った袋でした。思わず「たい焼きかいっ」と突っ込んでしまいましたが、ロッタにとっては、いつもほんのひとかけらしかお口に入れて貰えない大好物のたい焼きでした。主人は「よく頑張ったな」って言いながら、ずっとロッタを撫でていました。
家族で話し合い、ロッタの身体を天へお返しするのは二日後と決めました。翌日、私と娘はそれぞれ会社と学校へ行き、フライングで休みを取ってしまった主人がロッタのそばに居てくれました。普段は朝早く夜も遅いので、ロッタに接する時間は家族で一番短かった主人です。きっと、色んな話をしたのだろうと思います。
前日の夜は私に、当日は娘に、身体がお空へ帰る前の1日を主人に。ロッタは家族それぞれに、向き合う時間をくれました。
ロッタは不調ではありましたが、11月に入ってからも普通の生活を送っていました。ガクッと食欲が落ちたのは亡くなる数日前で、食べなくなってしまったのは2日前。その日の検査では特に悪化した数値はなく、前日は私の実家でいつものように過ごして、夕方の受診でも深刻だとは言われませんでした。しかし、その日の夜に私に覚悟を決めさせて、次の日には娘のお膝で、たいして苦しむ事なく生涯を終えました。16年4ヶ月、一貫してロッタらしく生きてくれたと思います。
ロッタの旅立ちのシナリオは、とても優しいものでした。
たい焼きをひと口だけ貰うロッタ😊
美味しかったね😊💓


