桜さがし | ぬーてっくで在るが為

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なんとなく、思いついたことを思いついたままに書き出してみてます。

大体、小説風に書いてしまう癖があるので読み辛いこともあるかと思います。

家を出ると、ふと春の雨の匂いがした--。
思えば暦は既に春分を跨ぎ春を示している。先日の桜の開花宣言に夕方の情報番組で賑わっていた。そう言えば、卒園をしたと思しき慣れないブレザーを着た子供を連れ、余所行きの格好をした母親たちがマンションのエントランスで立ち話をしているのをみたのも記憶に新しい。
仕事場へと向かう途中、そんな風に考えながら、改めて春なのだと認識した。
桜をモチーフとした小説は数多と存在する。その中で今回は少し遅れた桜を用いた本とそれに纏わる話をしよう。


桜さがし(柴田よしき 著)
中学生来の仲間である四人は、京都郊外の山奥に居を構える恩師に招待され、その途中の山道で一組の男女と出会うが、一ヶ月後に死体で発見される。
遅咲きの桜を巡る謎に出会いと別れ。古都の移ろう季節と切ない青春を描く群像ミステリ。


この本を読んで暫く経ったある晩春(桜は散って葉桜となっている)に、ふと遅咲きの桜が脳裏を掠め居ても立っても居れずそれを探しに行ったことがある。急な思い付きであったので、本に載っていた場所を確かめもせずに新幹線へと飛び乗った。
兎にも角にも、遅咲きの桜を探し京都を2日をかけて縦横したのであった。
いま思えばそれがよかったのかも知れない。
その中で、比叡山にある狸谷山不動院という寺を訪れた。その日も雨が降っていた。
そこは「狸谷のお不動さん」と呼ばれ親しまれており。そして、"狸"とあるだけに寺へと続く階段の入り口には信楽焼の狸が大量に鎮座している。
その階段は250段あり、その道すがら狸がいま何段目かを教えてくれる。
そして、その途中に迎え大師と呼ばれる像が階段の真ん中に立っており、下を向いて登っていると急に人型が現れ驚かされる。
そうして登っていると、雨の所為か狸と迎え大師以外には誰ともすれ違うことはなく、とうとう250段目を踏み締めたのだった。結果、登ってみたは良いもののそこに桜などはなく階段下に設けられた駐車場の脇に枝垂れ桜がひとつ在るだけだった。
とは言え、これも時期からすると遅咲きの桜であったのかも知れないが、みて廻った桜たちはすべて本で視た桜とは何処か違ったように思える。
しかし、気にはなるものの未だにその答え合わせはしていない。が、それはまたいつか思い立って「桜さがし」に訪れると頭の片隅で考えたからなのかも知れない--。



でわ。