例えば
お互いの言葉が通じないようなとき
よく相手のことを観察するはずです。
しかも相手の存在を歓迎するような感覚があったなら
ジャッジをしないでより興味深く観ている。
それは動物でも自然に対しても同じ。
実は古代インド哲学やハワイのフナ(古代形而上学)などでも
すべての物質には意識があり
つながることで一種の意思疎通(コミュニケーションまたは相互に影響または調和や共有)しあっている。
という教え(哲学)があります。
そして共通「言語」っていうものがないから
「つながり」がないとコミュニケーションできない。
だからこそ
互に共有していたり
調和していたり
コミュニケーションをしているということに気づけず
「闘って」しまうのです。
じゃあ「つながる」にはどうしたらいいのでしょう?
先日の記事の
社内に残っていたベトナムの彼は
私の振る舞い(がほとんど言葉になってない「えくすきゅーずみー」と声をあげて立ち上がるの)を観た瞬間(おそらく0.5秒以内に)
察知してホームに降りた2人に声をかけていました。
このとき彼らは、
「はじめての場所」にいたからこそ
「私は知っている」なんていうエゴイスティックな感覚がなかったため
意識のアンテナが周りに拡がっていた可能性があります。
だからこそ
私の振る舞いを瞬間的に察知したのではないでしょうか?
※自然界における意識同士のコミュニケーションってこういうもののはずです。
(私が子供の頃周りの動物とコミュニケーションをとっていたのは、このやり方です。私はアニマルコミュニケーターではないのですが、ひょっとすると同じ感覚ではないかと勝手に思っています。)
そして楽しむような感覚があったはずなので
「好奇心」もあった。
これって外との関係性ですが
実は内側(自分との)の関係性(内観)も共通しているんです。
(つづく)
今日もさらに新しい可能性が広がる一日を創造しましょう。
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