瞑想や心理学を学ぶと
自分の内面を「観る」ことが多くなってきます。
でもここにもひとつ注意しておくといいポイントがあります。
それはマインド遊び(考え遊び)をしてしまうというところです。
長い間、瞑想をしたり内観をしていると
やがてじんわりと実感する「ある感覚」があります。
それは
内観するプロセスって
最初のうちは
自分の内面にある不安やネガティブな想いが
「なんであるのか?」と追及したり、
その原因を探したり、
それを言葉で説明しようとしたり
したりするものだけど。
充分にそれをやっていると
やがてそれらを眺めるようになっていって
今までやっていたのは単なる頭のエクササイズに過ぎないのではないか?
なんてことに気づいたりするのです。
答えが観えない…etc
ぽっかり空いた部分をそのままにしておくことは不安なものだけど。
結局はそういった不安から逃れるための暇つぶしみたいなものだったのではないか?
なんて感じちゃうし、
気づいてしまうんです。
その間、忙しくてそれどころじゃないときなども過ごしていれば
なおさら、そんな風に思えてくるもの。
面白いことに私たちは思考を使って問題(悪いもの)を創り出して
そこから逃れるためにまた思考を使って癒されようとしているところがあります。
それって
どこかに行こうとして懸命に走るのだけど
まるで
可愛いハムスターがくるくると懸命に回し車を回しているかのように…。
それに気づくと、
なんかそうしている自分が可愛らしく感じられるようになるかもしれません。
そんな感覚になればユーモアを抱きつついろいろと向き合えるような感じになる。
いろんな執着から解放されていけばいくほど、
そのユーモアの中にニヒルな部分とか
皮肉な部分とか自虐的なところがなくなっていきます。
向き合うにしても、
そういったユーモアのエッセンスを一滴垂らしたとしたら
いつのまにかネガティブな反応が随分抜けたなぁ~なんて実感するようになるのかもしれません。
今日もさらに新しい可能性が広がる一日を創造しましょう。(^-^)
※マインド遊びが悪いということを意図しているわけではありません。
考えとは私たちにとって豊かに生きていくための「道具」といってもいいでしょう。
でもその「道具」に囚われてしまうと、なんでもかんでもその道具で対応してしまうことになってしまいます。
そして無自覚のうちに自分の考えに合わせて他人を切ってしまうこともあるからです。(例:プロクルステスの寝台)
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