崇拝することは分離である? | そこにいるだけで自分とまわりを癒すあり方とは

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意思の力では対応不能な感情への自分軸をつくるホリスティックヒーラー

ればせながら
明けましておめでとうございます。
 
本年もよろしくお願いいたします。
 
 
先月は半月ばかりインドに行ってました。
そのインドのイベントでは
連日朝6:30~夜の9時10時まで瞑想ワークがあって
さらに夜中の1:00から朝6:30までの寝ずのワークなんかもあったから
まあ大変でしたね。
 
 
2000人が着席して瞑想するとか休憩も一斉に行うわけだから
団体行動ゆえにそれぞれに時間がかかる。
 
だから、気持ちにゆとりがないとガヤガヤと話をしてしまうもの。
 
 
もし周りと話そうものなら、
その間は内観ができていないのだから
台無しになるんですが、
インド人以外は、(特に中国人は)ガヤガヤしがち。
 
 
歩行瞑想の時はダメだったけど、
座ってでの瞑想ワークともなるとさすがに指示に従って
とても深いものに。
 
朝はこのような神聖な場所で目を閉じて
心の中で
ハムサー・ソーハム・エーカムってマントラを1時間唱える。
 
 
このサンスクリット語を直訳すると
私は彼(あなた)、彼(あなた)は私、ひとつ
の意味の覚醒のマントラ。
 
 
これを神聖な場所で胸の中心で響かせるとかなり特別な意識状態になっていきます。
 
 
もし日本語で
あなたは私・私はあなた・すべてはひとつ
なんて心で言葉の意図を噛みしめ感じながら1時間も唱えたとしたら
これもまた特殊な意識状態になるんじゃないかなぁ~なんて
勝手に思ってます。
(まあ日常ではなかなかできないものですが)
 
 
 
 
回の覚醒のイベントでメインで唱えられたこのマントラは
直訳すれば、私はあなた・あなたは私・ひとつ
という風に解説されたけど。
 
 
あなたとは人だけを対象にするのではなく
全ての存在として捉えるなら、その
すべての境界線がないという意図がこのマントラにはあります。
 
 
つまりは分離がないということですね。
 
 
 
 
 
古代インドのヴェーダなど東洋の古代哲学では、
神を崇めることや神に帰依するというのは、
「分離である」と考えられていました。
 
 
これは実際のところは悟った人の意識状態で理解できる真実なのでしょうが、
それが言葉で伝えられたことによって哲学になったと言ってもいいのでしょう。
 
 
この哲学はイスラム教ではまだ観られるものだけど。
 
そもそも仏教でもキリスト教でも本来は偶像崇拝に対して否定的で
布教の際に分かり易さといった利点があるから
偶像が作られるようになって
本来の教え=哲学は語られなくなった側面があるようです。
 
 
神を崇めるとか
帰依するとか
そういうことって「スピリチュアル」なことのようだけど。
 
 
古代哲学からすると本筋から離れていくことになる。
 
 
じゃあこの「分離」って簡単に言うと
外の世界では分断とか分裂とか対立とか境界線があるって感じになりますが。
 
 
 
内の世界では
自分自身に嘘をついたり
他人とくらべたり
劣等感や優越感を行ったり来たりしたり
差別したり
まあ外でも内面でも葛藤状態にあるということ。
 
 
 
だから
いろいろと軋轢が生まれて
スムーズにはいかない。
 
 
 
分離であるからこそ
いろいろと比べてしまって
差が生まれ
誰もが自己重要感を求めるから
承認欲求とか特別な人として見てもらいたかったりする。
 
 
 
その結果、階級制が生まれやすくて
かつての宗教では序列みたいなものが生まれ易かった。
 
 
そもそも発祥の段階では平等であったはずだと思うんですけど。
 
 
キリスト教的に言うと
エデンの園の善悪の知識の果実(リンゴ)が分離を生んだって感じになります。
 
 
先日のインドの覚醒のイベントで
参加者の方の質問に対して主催のクリシュナジは
「神実現は分離です。神を崇めるのも帰依するのも分離です。神がいて私がいるということが分離そのものです。」
といってました。
 
※聖書によれば、個人に最も相応しい目標を計画しているのは神なので、その計画に従って目標に歩むことを「神実現」と言います。
 
例えば天命というのがあってその使命を果たすなんて感じが神実現ということになるのですが、
それは、むしろ神と自分を分離してしまい、離れていってしまうって感じになります。
 
 
外に意識を向けるのではなく
自分により深くつながる。
 
 
自分により深くつながることで
結果的に周りとも深くつながっていく。
 
 
そういう感覚に自然になっていったら
ただ単に生活しているだけで
周りの役に立って
使命なんてものを探すこともなく
生きていることそのものが周りに貢献することになって
使命を果たしているなんて感じに
きっとなるのでしょうね。
 
今日もさらに可能性が広がる1日を創造しましょう。
 
 
 
※ここで表現されていることは何かを否定しているように感じられるかもしれません。
 ですが否定する意図はありません。
 しかし、どのようなポジティブなことであっても、
 どんなに効果的で役立つことであっても、それに固執してこだわってしまうと
 本来の役割を果たさないだけでなく、むしろ害になってしまうことも多いです。
 つまり、こだわりは分離感や欠乏感を育んでしまい、
 そのことによって終わりのない競争(闘争逃走)を続けることになり、
 結果的に活力や生命力を奪ってしまうからです。
 なので否定しているわけではなく、単に起こっている事実を違った視点でお伝えしたいだけです。
 ですからここで表現されていることも意図をもってエネルギーを伝えているだけであって
 そもそも書かれていることそのものに、こだわる必要は全然ないと思っています。
 そして書かれていることにこだわる必要がない理由は、書かれていることよりも
 それを体験している人に触れあいそのフィールドに入ることの方が何百倍何万倍も
 得られるものが多いからです。
 言語表現だけでは、”それ”を伝えることができないからです。
 
◆開催予定の講座・瞑想会など
 
ハカラウ瞑想会1月
2019年1月22日(火)18:45~ 新宿文化センター

 

 

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