休日になると、惨めでいたたまれなくなる。
涙が止まらず、他のことが考えられない。
ずっとずっと
戻らない過去の時間と
淋しさを
ひたすら耐えているので精一杯だ。
家にいると、何も考えられない。
外に出ても、休まらない。
家族が憎くて仕方がない。
父の存在があるだけで、気持ち悪い。
視界から消えて欲しい。
無念に支配され
死にたくなってくると、
私の中から私に言い聞かせる声が聞こえるようになった。
虐待サバイバーの回復のプロセスは
親の愛を確認することでも
親を許すことでもないと
私個人は思っている。
私の声は、冷静に言う。
「 ”親” の ”愛” ではなく、”親” の”存在”そのものを、諦めなさい。
そこに居るのは、人の形をしているから、
思わず騙されてしまうけど。
理解してもらおうとすることを、諦めなさい。
話し合おうとすることを、諦めなさい。
その人に私は人生を潰されたけど、
この私の悲しみを、理解させようとすることは諦めなさい。
それは徒労に終わるから。
視界に入るその人を、無かったことにして、
ただ、離れることだけを考えなさい。
言葉を交わさず、
振り返らず、
準備ができたら、黙って出ていきなさい。」
理解不可能な人に、
求めることが、間違いなんだ。
私は、バカだ。
そこに気づかず、人生の大半を無駄にしてしまった。
時間は戻らない。
無念。
わかってもらおうとすることを、諦めなさい。
最初から、無かったんだ。
最初から、居なかったんだ。