※重苦しい内容です。
心身に影響を受けやすい方は、読み飛ばしてくださいませ。
勉強に取り掛かっていくと
内容を学ぶこと自体は
様々なこと(経験・体験してきたこと)を
客観的に見ることができ
次々に繋がる楽しさがあります。
そして、
疑問に思っていた事や矛盾点など、
自分が引っかかってきたことは
それなりにきちんとした根拠を持ってのことであったと確信もできています。
そういった知識の蓄積の喜びがある反面
非常に苦しい部分があります。
つまり、現在の私の体や生活など
人が生きていく中での
「必要不可欠な活動」のうちのいくつかは
現実的に、
もうずっと失ってきて
今後もその道を断たれていること。
取り返しも補填も出来ないまま、
生き続けなければならないこと。
それに加え、特に8050問題に絡めてもそうですが
既に私はこのルートに乗っていて
「社会的孤立(社会的排除)」
「孤立死」あるいは「自〇」
この流れからは逃れようがないことを
何となくの不安ではなく
私の現実・未来として
確実に察知していたからこその
現在動けない状態・絶望状態であったと
整理できました。
というか、整理は出来ていましたが
ここまで現実的になってくると
励ましや気休め程度ではどうにもならない
本当のサバイバルだなと思います。
単に、勉強・知識の蓄積というよりも
知ることで
自分の未来を受け入れていく覚悟
変な話、やはり
「死に方を受け入れていく覚悟」
そこに通じてしまいます。
「絶望」は続きますが
もうそれも抱えて生きていくしかない。
人生は残酷です。
今は……というか、
ある時点から、
私の中には
単に悲観でも、愚痴でもなく、怒りでもなく
「寂寥感」
――ただ静寂と、うっすらと
「生き続けることへの悲しみ」があるのみです。
……ならば、「宿命」を「使命」に。