【読書】愛情69 改めて読み直しました。 20代のころに感じた印象はそのままに ただ、心理の本を最近読んだこともあり 違った視点で、気づきもありました。 なぜ、私が 金子光春に惹かれてしまうのかも わかりました。 それにしても、詩から油画のような灰色の光景が、 頭に思い浮かぶから不思議です。 『金子光春全集 第四巻』 〈中央公論社 1976年〉 ▼ 以下、今日心に留まったものを…… 愛情 3 むかし、炎帝の娘たちには まだ、ながい尻尾があつた。 好きになったしるしには しつぽとしつぽを巻きつけた。 しつぽにしつぽを巻きつければ ふたりはなにもかもわかりあへた。 しつぽが、だんだん短くなり 男と女とはわかりあへなくなった。 千萬愛してゐるといつてみても ことばは、風にふきとんでしまふ。 千日、からだで契りあつても 肉體の記憶はその場ぎりだ。 しつぽとしつぽを縄に綯つて、 縄が朽ちるまではなれまい。 しつぽのある女をおれがさがしてゐる そのことわけはざっと、こんなところ。 愛情 7 ――如何是枯木裏龍吟 ほとけさまのいちもつは 先が八葉蓮華にひらいて 女どもは、それをみただけで 随喜のあまり號哭するさうな。 邪念はとび去り、合掌して 往生、成佛いたすさうな。 それをなにごと、ありふれた くさりまつたけ一つのために あきらめられぬの、死ぬなどと うらみつ、戀ひつ あのここなねとぼけ女ども。 愛情 12 灌木の横つ腹から 七首をひきぬいたやうな すばやさで となりのしげみにうつつた鳥が けらけらと笑ひ聲を立てて とび立つていつた。 事件といへばそれだけだが 庭は、血であふれてゐた。 毛茛 (キンポウゲ) のゆれる草のなかで 僕は、死んでゐた。 もちろん凶器はみつからないが。 もちろん下手人はわからないが。 もちろんかなしむ者もゐないし もちろん、縁者もひとりもない。 陽のかげるまで僕は死んでゐたが はりあひがなくて、起きあがった。 のぞいてごらん。どてつ腹の 大きな創穴の奥の奥の部屋で 会ったこともないしらない僕が ひとりで筮竹などをしごいてゐるよ。 愛情 14 ――死んで猶、横たはつてゐるものに にがい松のみどりで 壺は、いつぱいだ。 一人の男が、死んでゐる。 その死にはまだ、かたちがあり そのかたちが、ガラスにもうつる。 ガラスのむかうと、こつちとで 別々な気流が、流れてゐる。 死んでゐるのは 千年でもかまはないが、 死んでゐるのは 一萬年でも平気なのだが、 その場に、誰かが坐りにきても 邪魔や、目ざわりにはならないやうに。 愛情 22 その娘とあつてゐても 格別、なんのはなしもない。 しびれを切らせてなにかときいても お尻をもぢもぢさせるだけだ。 どうやら、娘は、唐變木で だづねる先をまちがへたらしい。 なにがはなしてほしいのか。 なにをきいてもらひたいのか。 だが、その娘が坐っているだけで、 部屋は、たちまち、蒸れかへり はちきれそうな膝の高さは 梯子をかけてやっとこさだ。 さて、そうなっては 抱くよりほかはあるまい。 愛情 26 ひっそりと愛情は忍びこむ。 こそ泥のやうに、 足音をしのばせて、あひての どこよりもひ弱い心のすみに。 愛情はそこで死にたいとおもふ。 もはや、てだても要らなくなつた。 ほつとしたおもひのあまりに。 愛情よ。死になさい。 かさかさにならないうちに、 汚名をきせられぬしほどきに、 上手に死ぬんだよ、愛情よ。 愛情は、 心と心とで そっととり引きするものだが、 それにしても、いつたい その心とは、なにものだ。 はてな。しつかりはわからないが 左、右、とおちつきのない 裸らふそくのほのほのやうに、 人間のうちがはで搖れてゐる奴さ。 愛情 34 ――繃々劇の白玉霜のゐた北京や、ミスタンゲットがまだ、舞臺に出てゐたパリ―君と言へば、舊世界に屬する。 そのころ、肺患を苦にしてあたら、H君は、モンマルトルの下宿で首を吊つた。ことしは、そろそろ四十囘忌になるのではないか。 サクレ・キュレルのみえる 下宿の窻に、 二本の足が ぶらさがった。 まるで、ソシソンでも ぶらさげたのとそつくりにさ。 二本の足は、靴下を はいてゐない足だつたので、 足のうらの皺が わらつてゐた。 しかたがないので わらつでゐた。 天國へゆくには、少々 きたなすぎる足だつた。 きれいな天の絨緞に 𠮟られさうな足だった。 それは、パリを食ひつめて ゆくあてもない 日本人の足なのだが おいらの足かとおもつたが おいらの足よりましではあるが なにしろ、あはれな足だつた。 ちぢめた足の指のまたに、誰か 銀貨でもはさんでやらないか。 愛情 59 姫胡蝶花のようなお嬢さんが ニッケイを読みながら、言つた。 ――なにか、御用? おつしやつてもかまはないのよ。 僕は、だまつてゐた。 愛情へは、手をふれないで、 大切な手荷物のやうに 目の前にそっと置いたまま、 たいていの人生を、僕は、 そんなふうにしてやり過ごした。 みすみす逃げてゆく機會を、 引止めないことでじぶんを豊かにした。 お嬢さんがたがみんな去って、 嫁いだり、老いたりしたあとでも 心にのこるおもかげだけが、 よごれず、うすれず、匂失せないために。 愛情 60 人が戀しあふということは、 あひてのむさいのを、 むさいとおもはなくなることだ。 もとより人は、むさいもので、 他人をむさがるいはれはないが、 じぶんのむささはわからぬもの。 じぶんのからだの一部となつて、 つながつたこひびとのからだを なでさすりいとほしむエゴイズム。 じぶんのむささがわからぬ程に あひてのむささがわからねばこそ 69(ソアサンヌフ)は素馨 (ジャスミン) の甘さがにほふ。 愛情 65 少女はローソクのやうに立つてゐた。 たしかに、それは蠟燭の眷属だ。 よごれなく透いたからだは、よそのからだの半分しかない細さだが、 ――それなのに、それでも、生殖器がついてゐた。 それがかなしいかぎりなので 少女を、大タオルでつつみながら 手を、足を、ことごとくつつみながら その指をひらかせて 一本、一本しやぶつてやりながら 非常な世渡りをしてきたしるしの ふとい注射針のあとのしこりや うす肌をこすつた剃刀刃の 縦横の創を、いたいたしくしらべながら。 少女の髪をもやす、黄ろい炎を消してしまひたかつた。それとも、 できることなら、その火をそのまま、手のひらで庇って、 ナンガルバットの嶺か、 セールアムゼの、翡翠 (ジャドー) の底に、いつしよにつれてゆきたかつたが。 シンプル装丁が美しい……