20代の頃、
お正月といえば毎年こんな感じだった。
* * * * * * * * * * * * *
●毎年電車で
大晦日(31日)の夕方頃、都内の実家に戻る
【実家1階】
玄関を開けると、埃の舞う汚い居間には
父 :酔ってる
飲み屋の女性 :フィリピン・韓国←知らない人
次女 :ダラダラ床に寝ている
三女 :普通に父と飲み屋の人と話している
が、揃ってテレビを見ている。
……私、開口一番「お邪魔します。」
【実家2階】
・私の部屋は物置化。
カーテンも閉めっぱなし
・そして、ストックも含めて、布団の類は一切干していない。
死んだ母さんのは正直使いたくない。
・亡き母の部屋(8畳間)は、
次女の買物依存の洋服たちで
ゴミ屋敷のように山積み。
山積みの服を足でよけて
自分の寝るスペースを確保。
畳の上に、
持参したバスタオルを敷いてその上に横になる。
階下からは、テレビの音と
酔っ払いの話し声が聞こえる……。
天井からは、三階(塔屋)を、ネズミの走る音が聞こえてくる。
バスタオルの甲斐も無く、身体が痛くて眠れない。
洋服山積みの、不衛生な部屋……心なしか、体が痒い。
* * * * * * * * * * * * *
●JRの深夜運転、助かる。
実家での滞在時間、数時間。
居心地の悪さと居場所の無さに、耐えかねて実家を出る。
電車の中は
代々木や信濃町あたりで
明治神宮へ初詣に行く若いカップルや
家族連れ、帰省の大荷物を持った人で賑やかだ。
電車の中、
堪えきれず涙があふれるが
コートとマフラーで自分の顔を隠して泣いた。
* * * * * * * * * * * * *
●深夜自分の部屋……「○○荘」到着。
扉を開けたら、ほっとして、号泣した。
「まだ、間に合う」
お風呂道具を一式持って
いつもの銭湯(深夜1時まで開店)に行く。
いつもの顔見知りのおばちゃんたちがいる。
フロントでテレビを見て、わいわいしてる。
その姿を見てほっとした。
見ず知らずの人から
毎日、1日の終わりに顔を合わせ、
同じ湯舟に使って話をする人たち。
いつもの顔なじみになった人たち。
家族以上に、
家族のような、あったかい人たち。
「良いお年を」
* * * * * * * * * * * * *
四畳半の部屋に戻る。
テレビが無いから
紅白もお正月番組も見ない。
近くの神社から
除夜の鐘の音が聞こえてきた。
「年、越したんだ。」
近所の親しくなった友人は、
地方の実家に戻っているか、
家族で過ごしている。
部屋に居ても寂しくなって
バイト先のコンビニに顔を出す。
「あれ、○○ちゃん、実家に帰ったんじゃなかったの?」
「いや、挨拶に来ました!」
「廃棄弁当、もってくかい?」
「いえいえ、今日はいいです。本当は、寂しくなってきたんです。」
「そっか。そっか。」
「大晦日の深夜帯、来年は私が出たいな!」
* * * * * * * * * * * * *
●元旦(朝)
地元の地域コミュニティに参加し
いつもの方々にご挨拶。
みなさん底抜けに明るくて
良い時も悪い時も
自宅に招いて話を聞いてくれたり
地域のイベントを一緒に行ったり
日頃から本当にお世話になって
良くして下さる。
ここの方たちも、
一人暮らししてから縁した
血縁以上の、「私の本当の家族」だ。
これが私の
比較的記憶に残っている、
1人暮らし時の
「幸せなお正月」だ。