昨日の妹と会話した後のなんともいえない気分は、
今朝の予定で解消した。
人に会うと、やっぱり違う。
マイナス思考を一時的に中断できる。
そして昼、父に聞いてみた。
渡された日記ではなく
他に「大学ノート」の日記は無かったか?と。
母が亡くなってから、
母のものを捨てることは無い(正確には触れられなかった)んだけど。と。
* * *
父:「大学ノート……あぁ、あったよ。
母さんの部屋の箪笥の上に、いつも置いていたんだよ。
だけど、どこいったかわからないんだよ。」
私:「え?他のアルバムと一緒に保管してたんじゃなかったの?」
父:「いや、ずっと箪笥の上だよ。俺、毎日見てたんだから。」
……あぁ、間違いない。
昨年の引越の際に、
その大学ノートは、他の雑紙類にまぎれて、処分してしまったんだろう。
なんでそんな大切な母の日記を、父は梱包してくれなかったのか?
処分する箪笥の上に放置したのか?
単にしまい忘れたのか?
さらに父は続けた。
「お前が言うようなことどこにも書いてなかったぞ。
俺、毎日、見ていたんだから。」
* * *
記憶に自信がなくなってきた。
父が毎日見ていたという大学ノートは1冊。表紙がシンプル。
私が記憶しているのは数冊。表紙は色がついていた。
妹と私がショックを受けた文章は一致。
父はそんな記述は無かったと主張。
もしも、ショックを受けた記述のあるノートが
父が見ていたもの以外(むしろその可能性の方が高い)としたら……
* * *
そこまで考えて
「もう、やめよう。」と思った。
もう、わかったのだ。
事実がどうであれ
きっと日記を見つけたとして……
自分の記憶通りに、ショックを受けた記述を見つけたとして……
それが一体、何になるだろう。
それを見つけることによって
「私はやっぱり、愛されていなかった。」ということを証明して
これからも母を責めつづけていくのだろうか?
幼少期から
母からの折檻も心理的なコントロールもあった。
これは事実。
それが痛みになって、
後の行動規範になっていることも事実。
でも、母の最後の日記の言葉を、「今」探すことは
自分が如何に母に苦しめられてきたかを、
形の無い虐待ではなく、
誰が見ても同情してもらえるような、
形としての証拠としてほしかっただけなのでは?
それで今の自分の現状を母のせいにしつづけて
責めたかったのだ。
仕返ししたかったのだ。
さらに、その母を回避して
アルコール依存に陥っている父も
私を助けてはくれなかった。
それどころか
父を頼れなかった母と同様
私もあなたを「頼れなかった」
私の人生は母だけでなく「あなたにも」つぶされたと、
責めつづけることができるから。
これ以上さがしても意味がない。
これ以上追求しても意味がない。
「私のこれから」は
もう亡くなっている過去の原因
今は落ち着いた父のアルコール依存とは関係なく
今、この瞬間の
私自身の思考と行動、選択の積み重ねがつくっている
母を恨もう、が許そうが
理解しようが、しまいが
父を責めようが、憎み続けようが
もう関係ないのだ。
私の今とこれからは
私以外、誰もなんともできないのだ。
それだけは、事実なのだ。