わさびはこの数年間、ねぎに小さな幸せを大切にしたら人生が楽しくなると言って来た。しかし、ねぎはこの考え方が感覚的に正しいだろうとは分かっていても、どうやったらそれを実行できるのか、手がかりがつかめないままだった。よくハウツー本にも「小さな幸せをつかもう!」みたいなタイトルがついているが、大抵、筆者にとっては「小さな幸せを喜ぶこと」がもう当たり前になっている状態で書いているので、できていない人がどうしたらその境地にたどり着けるのかという事について、全く明らかになっていない事が多い。

しかし、先日、ねぎはこの境地に少し近づく事が出来たと感じる。きっかけは何か?それは、「良い事があった後には必ず悪い事が待っている」ということを認識する事だった。

例えば、ある日の午前中にとてもうれしい事があったとしよう。心は弾んでいる。そこに、友達から遊びにいこうという誘いがあったとする。うれしいことを他の人と共有したいという気持ちもあるし、その誘いに乗るとする。そうすると、心は始めから弾んでいるし、友達との会話もいつもより楽しく感じる。これが幸せってヤツだなあと思いながら時間が過ぎていく。

こういう時、心は楽しい事でいっぱいになってしまって、他に考えるべき事があっても忘れてしまったり、いつもだったら気配りが出来る事であっても気づかなかったりする。これが大きなミスにつながる。午後3時までにやっておいて!と言われた仕事をすっかり忘れていた、とか。ねぎには身に覚えがある。

このように失敗するとどうなるか?ミスした事実に落ち込み、午前中のうれしい事も友達との楽しい会話も調子に乗っていた自分への後悔となり、全て幸せな事ではなくなってしまうのだ。1日が終わってみれば、一つの失敗によって全てが台無しになっているのだ。

いやいや、楽しい事ばかりがあって悪い事がない日だってあるじゃないか!と反論される方もいると思う。確かにそういう日もあるかもしれない。しかし、確率的に、幸せを感じた後には不幸せに感じる可能性が高いのだ。例えば「幸せ」の度合いを数値で10(Good)から-10(Bad)で表したとしよう。現在、幸せ度0の人が幸せ度2の事が起きたときには少し幸せと感じるが、幸せ度10の人が幸せ度2に接したとき、幸せ度0の人と同じ度合いの幸せを感じるだろうか?否。それよりも低いはずだ。という事は、幸せ度が高い位置にいるほど、それ以降の事に対して不幸せだと感じる可能性が高い。

ラフな議論だけれど、「良い事があった後には必ず悪い事が待っている」という命題が正しいと仮定しよう。すると、良い事が起きた後には、悪い事がなるべく起きないように、起こったとしてもダメージが最小限になるよう努力すべきだ。どうすべきか?

命題を認識し、良いことが起こったら、「今日はこれくらい良い事があったし、あとは悪いことが起きないように気を配って自分を見失わないようにしよう!」と思う事だと思う。こういう意識でいると、「今日の幸せは何かな?今日はこんな事があったな」と幸せを探し、「今日の幸せはこんなもんかな」と数える事になる。これが小さな幸せを大切にするという事につながるのだ。小さな幸せを大切に数え、悪いことが起きないように備えることが、落胆する日を減らしていくことに直結する。


人間は欲張りだと思う。一日中自分の思い通りの事が起きれば良いのに!と思いながら私も生活していた。しかし、ありったけの幸せをつかもうとすると、たとえたくさんつかめたとしても、もっとつかめたんじゃないかと思って満足できなかったり、我を見失って失敗したりするのだと思う。良い事の後には必ず悪いことが起きると認識し、1日の中で幸せな事件を指折り数え、今日はこの辺で幸せの追求を止め、悪い事件に備えようかな!と思う事により、確実に幸せを認識できるのだ。