風邪やインフルエンザが流行っているようで、、私も先週頭からずっと風邪に苦しんでいます。
しかし、子ども達の事を考えたら寝込むわけにも行かず、頑張っての今回の活動!
そんな中、智君は前回の活動がインフルエンザでお休み、お母さんの話では、熱があるのに「行きたい!行きたい!」と家で言っていたそうです。嬉しい限りです。
元気になった智君のテンションは高くもの凄い勢いで活動!こちらもエネルギー全開で向き合います。
勢い余っての出来た作品が真っ白に!
どうやら裏表を間違えて塗ってしまったようで、、本人もしまった~どうしよ~と言う顔。
そこからこんな事をひらめきます「お母さんをビックリさせる作品というのはどう?」
面白い事に展開で出来るな~と感心してしまった瞬間でした。
恐らく何処かの造形教室ならば、こう言うモノを作るから、ちゃんとこうして、ああして、これは違うからこうして、ここは何を考えたの?何をイメージしたの?と告げ口が入ります。
それも一つかもしれませんが、ここでは、彼の考えややった事が事実、そしてそれが彼の作品なので、受け入れることが大切なのです。まぁ~技術的な事はサポートしますが。
なにより出来た作品に対してのお母さんの求めない[おおらかさ]が私の中には印象的でした。
智君は様々な形を色々なモノにみ立てる事が豊かで、形を見て色々なモノに提案して来ます。これは、もの凄く創造的で豊かな事なのです。
何故ここでは、具象形体ではなく、抽象形体で作品を制作するかそれは、創造力を育む事に繋がって行くからです。
フレーベルの3つの遊びの形式の中に「生活の形式」があります。和久先生の中ではこれは、=みたて遊び・愛への希求になります。
このみ立て遊びが豊かである事は大切なことだと私は思っています。
様々なモノにみ立てられる、もし石ころ一つでどれだけでも何時まででもお子さんが遊べたならばそれはもの凄く集中出来る環境にその子はいた事になります。
そして、その子は集中力を養って行く事になります。
モノがあれもこれもあり過ぎるこの現代で集中力を養うのは非常に難しいです。
身の回りにあり過ぎたモノを見直すのも一つかと思われます。
もう一つは小学生の印象に残ったシーンを一つ紹介します。
祥継君は、2年生で糸のこは今回が2回目、糸のこで切りながら切っては戻り又進む姿を何度も見ました。
彼の中で自分の書いた線の上を何とかその通りに切りたい、その気持ちが何度も何度も戻っては切り戻っては切った奇跡です。
感動した事でした。
大した事が無いと言えば大した事では無いですが、我々大人はどうでしょう?
祥継君は、何とか一生懸命必死にやっているんです、頭と体はフル回転でしょう!
切り終わった後、彼は「うわ~目が変だ~」と叫びます。
集中しすぎて、まばたきを殆どしなかったようで目が乾いてしまたのです。当然ホコリもあるだろうし、、大変。
続いて絵具、絵具は色々な色を出しては混ぜまくり、、言葉を聞いていると「この色とこの色を混ぜると多分こんな色になるはず、、、混ぜるぞぉ~おリぁ~!あれ~?思っていたのと全く違うなぁ~」
彼は、色を実験しているのです。
恐らく今まであまり絵具を混ぜてこなかったのでしょう。もしくは彼はやりたかったけどやれない環境設定が何処かに存在して彼を枠に閉じ込めていたのだと思います。
色は無限です、自分が混ぜて開発して始めて知る色が出て来ます。そしてそれは記憶に残りいつか使われる事になります。
インプット無しにアウトップトは無い「プロダクトデザイナー深沢直人」の言葉です。
彼の色は今まで経験した事の無い未知の色、実験最中の彼らしい素晴らしい色なのです!
そんなこんなで充実している祥継君が嬉しく思えました。
今回の活動は和久洋三の色面の色遊びと造形⑥ P-58に紹介されたものです。