仕事をしていると

「○○力」を鍛えろ

という言葉が飛び交ったりしますが

「力」という言葉が

ムダを生み出すと思います。




なぜなら「力」を考えると

ムダの範囲を考えることに対して

一気に思考停止を起こしてしまいます。




考えるべきはその「○○」の概念の理解と解釈です。




つまりは「○○力を鍛えろ」という言い方ではなく

「○○とは何かを考えろ」というべきだと思うのです。




そうすると

もちろん「力」も考えますが

まずはその「○○」が何か

それはどんな価値を生み出すのか

どんな成果が得られるのか

どういった範囲でそれが必要なのか

どのように展開できるのか

などという多面的な視点で

その「○○」をとらえようとします。




「○○力」としてしまうと

気になるのはテクニックです。




けど、身につけるうえで必要なのは

「○○」についての概念です。




部下が役にたたないと嘆いている上司は

この「力」という言葉を

自分の頭の中から一度削除してしまえば

部下は一気に本来持っている能力を開花するのではないか

と思います。

言いたいことがいっぱいある中で
あれもこれも次から次へと語ってしまうと
聞いている側としては
どれもこれも軽く浅く感じて
記憶にとどめることを無意識に拒否するようです。


で、どうなるかというと
聞く側は、語られた内容をバクッととらえて
違う印象でその語り手を理解しようとし始める。


そう
人は人が語ることに対して
印象を得たがっているのです。


しかも伝えたいことの印象ではなく
その人の印象を得たがっています。


本当に伝えたいことを
相手の印象まで届けようとすると
届けたい印象を絞り込む必要があるのです。


で、絞り込んだあとは
その印象を創り出すために
あの手この手で情報を多面的に伝える
というわけです。


実際、雑誌はその号の特集に大半のページを割きます。
映画や小説は論点をひとつに絞り込んで
それを届けるためにシナリオを構築し、
情緒を含めたネタをプロットして全体のストーリーを
描き出し、印象を設計します。


この印象なるものを「メッセージ」といい
それを届けるための行為を「編集」というのだと思います。


で、編集とは

届けたいメッセージを届けるための

受け手側の解釈の設計だと思うのです。


多くを語らず
論点を絞り込む。


受け手側の解釈の設計の方程式、

つまり編集の方程式とは
わかりやすさ×多面さ×奥深さ
だと思います。

「責任」というよりも
「プライド」というほうが品質を高めるのではないかと
思います。


で、プライドの方向性としては
やはり人の「新鮮な驚き」を生み出す
ということではないかと思うのです。


ある本に
千利休は自分の信念に対する破壊者と書かれていました。


この言葉にものすごく共感しました。

責任は信念に従うと考えられるとすれば
信念を上回る責任は存在しないと思います。


ところがプライドは信念とイコールか
もしくは信念を高め続けるものだと考えると
信念はプライドに従うため
プライドによって信念はつねに破壊され
創造され続けるのだと思います。


ところで「新鮮な驚き」とは
その対象において
まったく無頓着な驚きではなく
限りなく距離感の近い驚きでなくてはならないと思います。


なぜなら人が求める驚きとは
あくまでもすでに意識下にある
あるいは深層心理にある欲求に対する反応でなければ
単なる意外性にしかすぎないからです。


意外性は品質の範囲ではなく、
論理の範囲だと思うのです。


また、「新鮮」というのは
いまだ経験したことがないけれども
それがそうであると実感できるものでなければ
新鮮とは思わず
それは「斬新」や「前衛」という言葉に置き換えられて
ひとつのあり方としてのみ理解されるもので
これもまた品質の範囲ではないと思うのです。


そこでやはり品質を高め続けるための方向性は
あくまでも「新鮮な驚き」という範囲で
常に多面的にものごとを解釈しつづけるための
新しい知識や情報によって
思考や発想、感情や感性の鮮度を保ち続ける
という取組みやコミュニケーションが
必要なのだと思います。