正しい宗教は宇宙の教えです。それは無限の世界を現わしています。
意識を変えると、結果が変わります。想いという行動が変わり、結果が変わります。
行動そのものが原点なんです。それを教科書みたいに覚えたってだめなんですね。
釈迦はこう言った、イエスはこう言った、これは仏典って言うんだよ、
これはキリスト教って言うんだよって、表面的にみんな覚えるんです。
中身の内容は、仏典もキリスト教もすべて同じことを言っています。
歴代の覚者に間違ったことは一つもないです。違うのは言葉だけです。
言葉の発音が違うだけであって、言っている内容はすべて同じです。
過去何千年に遡ってもそうだし、未来においてもそうです。
なぜならば、宇宙にはたった一つの仕組みしかないからです。
これを本来の宗教と言うんです。宗教とは、宇宙を示す教えと書きます。
ウ冠(かんむり)に示すです。しかし、世の中になんと宗教の多いことやら。
これは、ドグマ宗教です。間違った宗教がはびこっているんですね。
本来の正しい宗教は、宇宙の教え、本当の宇宙法則そのものの教えです。
宗教家とは、宇宙を知り尽くしている人なんです。
それを俗に聖者とか覚者と言っています。
じゃあ、聖者覚者は誰かと言えば、本来はみなさんじゃないですか?
誰もが条件を持っていますよ。みんな聖者覚者になったら、
サイババさん願望もなにもないですね。
彼もそう言っているはずです。
「私とあなたの違いは、私は真から神を信じている。あなたはそう思っているか?」と。
その違いしかありません。
体験したら、もう疑いの余地がないです。それは、瞑想を通して体験します。
瞑想とは何かと言えば、神との融合です。神は無形無想の体霊です。
形も思いもありません。この何もないものを自分の心と一致させるには、
自分の意識という心を無形無想に貫くんです。
何も思わない、何も考えないことを貫くと、神と融合します。
その時あなたは、はじめて宇宙を見、無限の世界を体感することでしょう。
自分が小さな固体なんだという想いがアタックします。
これは人間の脱皮です。やってみるといいよっていうレベルの話じゃないです。
これを通さずして、天に帰った人はいないんです。
天とは、無碍(むげ)ですから。無碍に帰るのは、無碍の体霊です。
一つ言っておきますけど、無限の人は迎えに来ません。
有限の世界はお迎えに来ます。よくお迎えに来るとか聞きませんか?
お迎えに来る人っていうのは、道が分からないんです。
道が分からないから、お迎えに来るんですね。
天に帰ることができる人は、天への帰り方を知っています。
そうするためには、瞑想するしかないです。
自分は自由意思だから、いつ帰るか想像つきます。
お迎え来る人は自分の寿命が分からないんです。帰れる人は選択を持っています。
これだけは成し遂げないとまずいとか、今帰ったら終わりますよとか、
それをさんざん言われたこともあります。
「これだけは置いて行け」と言われたのに、それを無視してやってったら、
脳梗塞おこしたり、足の大腿骨折ったりして、それでも帰してくれないんです。
真剣に帰ろうと思ったときに、「バカ者!」って追い返されました。
死のうと思っているやつが、足折れて痛くて病院に入院するんだから、
笑っちゃいますよね。思考力だけは残してくれたけど、体はがたがたです。
今はやってきたことを、素直に置いていければいいのかなと思います。
人間の最大の仕事は、輪廻の克服です。
このような世界は誰もが体験できますから、やってみるといいとかいう話じゃなくて、
これが本当の仕事です。人間としての脱皮です。
これができなかったらまた落第ですから、人間繰り返します。
これを、“輪廻”と言うんです。人間の最大の仕事は、“輪廻の克服”です。
二度と人間やってはいけません。ここにいる人たち、私を含めて全て失敗作です。
みんなに言ってますけれども、自分も偉そうなことを言える立場じゃないんです。
たまたま、何回か多く経験したにすぎないんです。五十歩百歩ですね。
でも、みんなが体験したら疑わないです。
だから、この体験談を通してもっともっと生命科学として発達して、
世の中に貢献していくことが望ましいと思いますよね。
放置しておけばいつ終わるかわかりません。というよりも、もう近いうち終わります。
それだけ切羽詰っているのを感じます。
だから、今は法則をしっかりと学びとってもらいたいです。
農業で言えば、作物が伸びたり、美味しい味が出るのは、
微生物が増えて来るからです。成長が増しているのは、虫が来ません。
病害虫が付くのは、成長が止まった時です。
人間も成長が止まると、病害虫が付きます。
意識が常に無限にこうしようという想いのある人は、なかなか病害虫はつきません。
植物も成長しているときは、病害虫はつかないものなんです。
また、実ってきたときにもどんどん肥料という形で投入していくと、
トマトもどんどん増していきます。
そういったことが、農業においても医学においても言えるんじゃないかと思います。
業種は関係ないです。だけど、そのメカニズムが分からないといけないです。
石炭にエネルギーが存在しているんじゃなく、
ひとつの条件に過ぎないんだという世界から物を見ていかなければ、
何をやっても具現化しないです。
自分の本質と、今言ったことは別個ではありません。
日常生活の中で、霊界という無限性や物を生み出すメカニズムを
理解しないでやっているものに、本質体験ができるわけないんです。
それこそ、たまたま見たにすぎないんです。
無意識の時は、体験するんだと思います。大人になったって、無意識であれば、
70、80、90歳になったって常に大霊の繰り返しです。
しかし、あなたの欲望が出てくると、欲望にかられてバイブレーション下がります。
お釈迦様は、「五千人に飯を盛るより、五分間霊性であれ」と言われました。
当時は全世界が五千人くらいだったのかもしれないです。
二、三千年くらい前ですから。今でこそ、70億とかいいますけど。
全世界の人間にご飯を盛るより、五分間霊性であれ。
つまり、霊性であれとは何かといえば、無形無想であれということです。
それは世界を変える力を持つんだと、悟った方の教えです。
これだけの人がそれを意識して実行したら、大変なものが生まれると思います。
自分とてまだまだ半人前にもいかないですから偉そうなことは言えませんけれども、
努力していることは事実ですね。
ただボケっと座っているだけが瞑想じゃなく、それは夜やればいいんです。
昼間はその思いを持って行動し、夜はそれをして実感していくならば、
24時間瞑想です。24時間目をつぶっているっていう意味じゃないです。
目が開いている時は本質に向けて動く。
目をつぶった時は無形として、本質に意識を向けていくということが24時間瞑想なんです。
自分も寝てしまったりしますけどね。
でも、懲りずに何度も何度も繰り返していくうちに、パッパッと見せてくれるというか、
間違って行っちゃうんですね。
だから、ぜひやってみてくださいということですね。本当にこんなすごいことないです。