佐古忠彦監督の『生きろ』を鑑賞しました。

 

 

この5月から順次全国上映されるそうで、

映画終了後、佐古監督のトークショーもあり

撮影秘話も伺えました。

 

 

 

 

戦中最後の沖縄県知事で役人の鑑と

称された島田叡(あきら)知事

の生き様を描いた映画。

 

 

沖縄県知事の在任わずか5ヶ月足らず。

しかも写真が数枚残るだけで日記などの資料は

ほとんど残っていないにもかかわらず、

今でも人々から慕われ

戦後、「官吏の亀鑑」=役人の鑑と称された方。

 

 

現在の糸満市にある摩文仁(まぶに)の丘には、

沖縄県職員の戦没者を慰霊する「島守(しまもり)の塔」があります。

そこには、島田知事の名前が刻印された、「終焉の地」の碑が

建てられているそうです。

 

佐古監督は、あの時代にあって、個人名で慰霊の対象となっている

本土の人とはどういう人だろうということで

いろいろ調べ、島田知事が「生きろ」という

言葉を残したことを知ったそうです。

そして、当時の玉砕主義の中、

どうしてこういうことが言えたのかと

掘り下げていきたいと考えるようになったそうです。

そして、島田知事を英雄としてではなく、

一人と人間として、迷い、決断する姿を映画で描きたかった

とおっしゃっていました。

 

 

島田知事は若い頃、尊敬する西郷隆盛の

「偉い人とはどんな人か?」という質問に対する答え

を聞いて、衝撃を受けたそうです。

その答えは、

「偉い人とは、大臣であるとか大将であるとかの地位ではない。

財産の有無ではない。一言に尽くせば、後ろから拝まれる人である。

死後、慕われる人である」

という言葉だったそうです。

 

また、島田知事が頼まれた時に色紙に書いていた言葉は、

「断」という言葉だったそうです。

 

 

私は、そのようなエピソードを知って、「良く生きよう」と

努力し、数々の勇気ある決断を行った島田知事に

親近感を覚えました。

 

 

島田知事のエピソード、致知出版社のHP

で見つけました。

映画では触れられなかったエピソードも書いてありましたので、

よかったら読んでみてください。

 

 

 

 

 

さて、「生きろ」という言葉を残した島田知事ですが、

「良く生きる」ための基準となるものは何でしょうか?

 

 

沖縄には「命(ぬち)どぅ宝」という言葉があります。

これは、命が何より大事という意味です。

 

 

 

島田知事の決断の基準は、命だったのではと思います。

だからこそ、沖縄県民のために、台湾から食糧を調達したり、

疎開を進めようとしたり、軍の方針に従わず

県民ファーストを貫くことができたのだと

思いました。

 

 

これに対して、

沖縄戦を指揮し、1945年6月23日(6月23日は沖縄慰霊の日)

に自決した牛島満第32軍司令官。

 

 

映画の証言者たちが、沖縄の若者に対し、優しい人だったと

証言しているのに驚きましたが・・

 

 

そんな優しい人柄にもかかわらず、

米軍が迫ると首里の司令部壕を放棄し、

多くの住民が避難している南部への「南部撤退」を決断・命令し、

その結果、多くの住民が戦闘に巻き込まれ犠牲者が激増させる

こととなった。最後には、

<最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受けることなく

悠久の大義に生くべし>

という命令を出し、自決した牛島満司令官。

 

 

映画で、証言者の中に牛島満司令官の孫である牛島貞満さんが

出演されているのにも驚きました。

 

 

牛島貞満さんは、自決した祖父の真意を追い続けているそうです。

 

こちら、牛島貞満さんの記事を見つけましたので

読んでみてください。

 

 

 

映画の中でも牛島貞満さんが証言されてますが、

 

牛島司令官の自決が戦闘の終結ではなかった。

この命令で最後の一兵まで玉砕する終わりのない戦闘になってしまいます。

 

なぜ、そんな決断をしてしまったか、

その理由を牛島さんは、天皇を崇拝していたからと

おっしゃっていました。

 

ここからは、上にリンクを貼った記事からの抜粋です。

 

優しかったという祖父が、

 なぜ非情な命令を下したのか。貞満さんは祖父の辞世の歌に注目する。

 

 <秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ>

 

 秋になる前に枯れる沖縄島の若者の命は、本土決戦に勝利して

春になった天皇中心の国によみがえるだろう。

 

 「祖父は必ず本土決戦があると信じて疑わなかった。

天皇中心の国の体制を守るために沖縄で時間を稼ぐ。

大本営に対して、持久戦継続をよりアピールする作戦として、

南部撤退を選んだ。『最後まで敢闘』と命令して自決したのも、

司令官自らが死ぬことで『終わりなき沖縄戦』を

完成させようとしたのだろう」

 

 軍隊は国民の命や暮らしを守るために戦ったのではない。

自らの耳目で確認した沖縄戦の現実に、改めて祖父の責任は重たいと思う。

 

 

これを読んで、どこかで聞いたことが・・と思いました。

 

神のために自己を犠牲にして戦うジハード。。(イスラム教)

 

 

自分が万能である神様だったとしたら、

人間に犠牲になってまで戦って欲しくないんですけど・・

と思ってしまいます。

 

 

島田知事の決断の基準と

牛島司令官の決断の基準。

 

島田知事は、死後慕われる人になった。

牛島司令官に春は来たのでしょうか??

 

 

この決断は極端すぎますが・・

 

 

どんな人でも人生において、後で悔やんでも悔みきれないような

大きな決断を迫られることがあると思います。

 

 

その時に、欲望とかしきたりとか世間体とかに負けず、

しっかり生命基準の決断ができるか。

こういうことを日頃からきちんと考えてないと、いざというときに

判断をあやまるのではないでしょうか。

 

 

映画「生きろ」は、22人もの方での証言で物語が作られています。

 

過去を知ることは、より良い決断をしていくために重要だと思います。

 

また、善人悪人にもかかわらず、

過去に生きた人たちの背景や思いを理解すること。

批判はしない。

 

より良い未来を作るために過去があるから・・

 

そう思って過去の人の気持ちを

理解することは、無念な死や非業の死を遂げた

人たちの供養にもなるようにも思います。


 

最後に・・

 

映画の中に、当時、島田さんに、「生きなさい」と言われた

元女学生の方の証言がありました。

 

その方は、その言葉をきいた時、

ガッカリしたそうです。

 

玉砕、つまり潔く死になさいという言葉を

期待していたということです。

 

当時は、死ねと言われたら死ぬ時代だった。

 

改めてすごい時代だったと思います。

 

これも極端な例ですが、

一人一人考えが違うのは当たり前。

 

自分の常識は世界の非常識だと

謙虚な気持ちで人付き合いをしていきたいと

改めて思いました。

 

ともかく、より良く生きていきましょう!