フォーマルハウト | Stockholm

Stockholm

収束

久しぶりにBUMPのギルド聴いたら辛かった学生時代のアレコレ思い出した。反出生主義の方々の主張は理解できるし共感できるけど、どうも私にはしっくり来ない理由は、思春期にこういう音楽を多々聴いた影響なのかもしれないと、漠然と思った。


あの主張は答えのひとつでもあるんだよな。だからこそ、つまらなさもあるというか。最終回答が出たらそれで終わりじゃん。もっと迷って自分で価値や意味を見出したいんだろうな私は、多分。この思想は自身と深く向き合う邦楽ロックに思春期に出会えたことが起点なのかもしれない。あと死んでも本当に開放されるか疑問だし。


 自分の中の基点というか。思考の最深部にあるものは、あの頃のBUMPの音楽やDragon AshのCanvasで。だからこそ、大切なそれらを生理的な嫌悪感が原因で聞けなくなるのは本当に嫌だったのかもしれない。人と音楽をもう少し分けて考えたいのに、なかなか難しいね。 


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 ゆっくり寝たいのにまた夜更かし。仕事も放棄してさ。ひとりで語りたくてここに来てしまった。最早誰も見ていないのに。最近は生きるのと生かすのと良識を育てるので精一杯。思い出したくないことは、記憶のどこかにいきつつある。でもやっぱり生きててほしかったな先生には。空虚が埋められない。先生は今頃どの辺にいるんだろう。宇宙のはるか彼方?アルデバラン?フォーマルハウト?先生に教えてもらったことばかりなのに。分からないことを1つずつ紐解くだけの時間はあるのだろうか?分からないけれど、空虚を埋めるにはそれしかないのかもしれない。 



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 時々、あの人は元気かなと思うけど、とりあえず生きて笑って好きなことができていれば、私は良かったなと思う。と思い込みながら、私はこれからも池袋で生きていくね。もう好きって感情より、懐かしさが勝るけれど。この前久々にギターを触って思い出した。

もう休もう。またね