友達なんていらない死ね | Stockholm

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収束

今まで漠然と違和感があったものの答え合わせをした気分なのですが、ハッキリと分かるのは、そういう類いの感覚を鮮明にするのは精神衛生上あまり良くないということです。今まで信じていたというか、生活の根本にあったものが揺らぐのは、おそらく通常の感覚だと辛いと思われます。

ただ、わりと白黒ハッキリつけたい派の私は、どこかスッキリした気持ちを抱いているというのも本音です。まあ、良かったわ。茶番劇を演じてたのはお互い様ということで。お粗末さまでしたと言いたいけど、もう少しこの茶番劇は続けないといけないようです。OK、OK。そういうのは多少慣れてる。あと20年くらいなら多分大丈夫。


なぜ大丈夫かというと、私には書くという手段が残っているから。そしてこんな夜に一緒にいてくれる音楽があるから。人間不信というより元から人をあまり信じていない。信じていたというか好きだった人達は死んだりいなくなったりして今や私の心の中にいるのはほぼ死人だ。なんかやだな、そういう感覚になるの60代くらいからだと思ってたわ。いやだいやだ、最早イヤイヤ期なのかもしれない。本当に馬鹿らしくなる。


久しぶりにトラベルプランナーを聴きながら書いている。この曲を今聴くと、なんだか、あの時の選択は本当に合っていたのかと不安になった。もしあの時無謀でもなんでも気持ちを伝えていればとか、ああ、阿呆らしい。全く釣り合わない恋だったのに。いや、あれは恋だったのかすら今はもう分からない。10年以上前のことだもの。でもこうやって時々思い出したりするのは、どこかに後悔があるからなんだろうな。4月に書いたブログ記事の下書きをさっき見つけたけど、なんか唐突にあの人の夢を見たらしいしね。いやいや、執着?怖いよ私。


あの日僕が侮蔑の目を向けた大人の気持ちが今になって分かるとか本当に最悪だ。けど、これも仕方ないのかなと思う。どうせ明日になればまた忘れるくらい薄い想いになってる、今はもう、きっと。


本当に酷いな私は、冒頭のショックの愚痴を書くためにこのブログを開いたのに、全然違うこと考えている。今の実生活は濃厚だけど、どこか薄っぺらい。ドロドロのシチューみたいな毎日なのに。野菜が溶けてなくなってるような煮詰め具合。頭が沸騰したり弾けたりする日々。なのに、なんだろうね。思いをぶつけられないからなのかな、心のどこかで寂しさというか、侘しさを感じる。幸せな家族があるように見えるのに不倫して蒸発する人もこんな気持ちなのかな?


また夜更かしして、一体全体明日はどうするつもりなの私は。でも少しだけ自分の気持ちを吐露できた。やはり書くことは良い。もう前みたいには書けないけれど、書くとこが好きだと思う気持ちは以前と変わらない。よかったよかった。


せめて今も生きている好きな方々が、幸せな毎日を置くれていますように。もう会えないからこそ、そう思えるのかもしれないけどね。さあ、寝よう。

おやすみなさい


あ!!タイトルは最近の私の気分です。

神聖かまってちゃん好きだなー年々好きになる

まあ、私にはお友達いないんですけどね