そういえば、わたし・・・
小さい頃に、母とハグをしたり、キスをしたり・・・
今のわたしが、小ラブや和としているようなスキンシップを取った記憶って、
あまりないな・・・って。
そんなことを思い出しながら、母への想いが届かなかった(と感じていた)
10代の頃にタイムスリップしてみました・・・
当時、母はヨガの修行に忙しくて、家を空けることがしばしばありました・・・
父も単身赴任で家にいなかったため、
姉とわたしが2人でいることがとっても多かったの。
でもね・・・
当時のわたしと姉は、全てにおいてライバルでした・・・
それはもちろん、「母に認めてもう」ということにおいても・・・
それはもちろん、「母に認めてもう」ということにおいても・・・
中学生から高校生の大人へと変化していく難しい時期に、
愛が憎しみに変わっていく体験もしてね・・・
いつもおうちの中は姉とのバトルでした。
そんな時期に、レ イプ、摂食障害が全部重なり・・・
わたしのココロとカラダは悲鳴をあげていたの。
母には、「お願いだから家にいて」って何度もお願いして。
それでも、母は、自分のやりたいことを貫いていました。
何度も何度もお願いしても、わたしの想いが届かない・・・
母に真っ直ぐ愛を表現しても、受け取ってもらえない・・・
当時のわたしは、キットそう感じていたのだと思います。
ってね、当時のことを振り返っていたとき、
わぁ!!
って気づいたことがあったのです!!
わたしも、母と同じことを小ラブにしている・・・
って。
そう・・・
真っ直ぐに表現している小ラブの愛を「受け取っていない!」って。
時々、小ラブを鬱陶しいと感じてしまうわたしが、当時の母と重なったの。
母と同じことをわたしもしている!
そして・・・
真っ直ぐに愛を表現している小ラブに対して、
どう受け取れば良いのかわからないのは・・・
あの当時に「愛を受け取ってもらえない」と感じていたから・・・
なのではないかなぁ・・・
って。
それと同時に、母も「受け取ってもらえた」
という体験をしていないのかもしれない・・・
もしかしたら、そのまた母も、そのまたまた母も・・・
私たちの家系で、ずっとずっと続いている負の連鎖のひとつなのかもしれない・・・
って、今更ながら、気づいたのです。
なぜ、今更ながら、なのかというとね・・・
母とはその後、何度も何度も向き合って、
当時のことは、もうとっくに昇華(消化)していたと思っていたからです。
今は、人として、お互いを尊重しているし、
お互いの人生を応援し合っている仲なのです。
だからこそ・・・
なぜ、今頃になって、あのときのわたしの叫びが聞こえてきたのか・・・
とても不思議でした。
けれどね・・・
頭の理解とカラダの感覚は違っていて・・・
頭では、十分に分かっていても、心では、許していても・・・
カラダの感覚、例えば、小さい頃にお母さんと育むスキンシップから
細胞に染み込んでいく愛の感覚とか・・・
愛を十分に受け取ったと感じる感覚というのは、
体験してみないとわからない・・・
それはまさに「腑に落ちる」という感覚なのですよね。
その「腑に落ちる」感覚を与えてくれたのが、そう・・・
小ラブだったということに、今回のおっぱい熱を通して感じることができたのです。
そうか・・・
小ラブはわたしに「ママ、愛しているよ!」って、
全身全霊で伝えてくれていたんだ。
「ママ、受け取ってね!」って、
全身全霊で表現してくれていたんだ。
それはつまり・・・
当時わたしが母にしていたことと全く同じだということに気づいたのです。
わたしは、もう大人になっていたので、
表現の仕方が小ラブのようにストレートではなかったけれど・・・
それでも、全身全霊で母に
「ママ、愛しているよ!」「ママ、受け取ってね!」って、
声なき声で必死に伝えていたことを思い出しました。
そのときね、色々なことがつながりました。
前回のブログで綴った、内なるわたしからの声・・・
「だって・・・愛され方を知らないんだもの」
「そう言われても、わたし、愛され方を知らないんだもの!!」
「求めてくる小ラブに対して、どうしていいのかわからないの。
だって、愛され方を知らないから・・・」
ここに対する答えがわかったのです。
当時わたしが、母にしてもらいたかったことを、ただただするだけでいい。
ただ、そのまんまを、受け止めるだけでいい・・・
何も考えず、ただただ、あるがままを受け止めるだけでいい・・・
無条件に、そのまんまを、まるごと受け止めるだけでいい・・・
それがきっと、「愛を受け取ること」なんだ
って。
そんな気づきがあってから、小ラブがおっぱいを求めてきたとき、
わたしの内側で変化がありました。
「いいよいいよ~、おいでおいで~、受け止めるよ~」って、
ドーンと構えているわたしがいたの。
それはもう、理屈ではなく・・・
腹に落ちる感覚

そしてね、小ラブに聞いてみたのです。
「ママを愛しているから?」って。
そうしたらね・・・
「うん!!愛している」って。
少し含み笑いをしながらそう言った小ラブから、
「ママ、やっと気づいてくれたね~」
と言われている気がしてなりませんでした。
そう・・・
わたしは、受け取っているようで、受け取っていなかったのです。
愛され方を知っているようで、ぜんぜん知らなかったのです。
小ラブがおっぱいおっぱいって求めてくるその行動は、
「ママ、愛してるよ!愛してるよ!」って、彼女の声なき声だったの・・・
そのことに気づいてから、
「おっぱ~い!」という小ラブの叫び声が
「愛してる~!!」にしか聞こえてこなくなってしまってね・・・
どれだけわたし、愛されているのかしらヽ(*´∀`)ノ
これはもう、受け取るしかないわ~ 笑
「愛してるよママ! 受け取ってねママ!!」
「うん!わかったよ! 受け取るよ!!」
そんな心の対話が、わたしと小ラブの間で起こっているのです。
10代のわたしができなかったことを、小ラブを通して叶えてもらえた・・・
きっとそれは・・・
わたしの先祖ができなかったことでもあったのではないかなぁ・・・
小ラブが、先祖の負の連鎖を断ち切るための鍵を持ってきてくれたのです。
そして、それはまた、先祖全ての癒しの鍵でもある
わたしが、しっかりと受け取ることができたら、
このレッスンは終わるのだなぁ・・・って。
つまり、小ラブは安心して卒乳していくのだなぁ・・・って。
「もう、ママは大丈夫だわ!わたしはわたしの人生を行き(生き)まーす!」
ってねヽ(*´∀`)ノ
彼女がそんなふうに言っている姿が、近い未来のビジョンとして見えました。
卒乳って、お母さんにとってもひとつの卒業なのかもしれないですネ。
そしてね、わたしは小ラブに誓ったの。
「ママも愛され方1年生だからよろしくね!」って。
そして、パートナーにも伝えました。
「わたしは知っているつもりでいて、全然知らなかった・・・
1年生だからよろしくね!」って。
今、気づいたこの瞬間、魂が進化します。
それが、とてもとても大切なこと。
気づきはいつ起こってもいい。
いつからでも、成長はできる。
いつからでも、成長はできる。
知らなかったことを認めて、そんな自分に降参してしまえば、
その瞬間から人はいつだって生まれ変わることができる・・・
人生は、この繰り返しなのではないかなぁ・・・
小ラブ、ありがとう
そして、わたしの母・・・
本当は愛しているのに、そのことを、素直に表現できなかった彼女・・・
わたしと母はとてもよく似ているから、すごくわかる。
わたしが、わたしの心の奥に入ることをどこかで恐れていたのは、
当時の母を否定することになりそうで、とても怖かったから・・・
だってわたしは、母を愛しているから。
根底では、愛でしかないから。
きっと、誰もが、お母さんを愛しているのだと思います。
どんなに辛く悲しい体験があったとしても、
すべては愛から生まれている・・・
そのことに気づくために、
わたしたちは一度苦しみや悲しみを体験するのですネ。
気づくまでは、何度でも「人生の不協和音」として、
わたしたちにメッセージを届けてくれる・・・
何度でも。
そして、全ての人は母から生まれている。
つまり・・・
お母さんとの関係性が、今の自分自身に反映しているからこそ・・・
一度、お母さんとの関係性をしっかりと見つめ直して、
自分と母を切り離さなくてはいけない。
だって・・・
自分の人生だもの。
母の人生を引きずっていたら、
いつまでたっても「自分」を生きることはできないでしょ?
そこにチャレンジしたとき、赦し(ゆるし)が生まれるのだと思う。
そして、そのときに、ホントの自分が光り輝くのだと・・・
とてもとても大きな気づきをありがとう



