雑観 | 1丁目住人のブログ

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とてもとても久しぶりに自分の過去の記事をのぞき読んだ。こんなことをやっているのは、とっても順風満帆でない時ということなのだが、辛かったり、逃げ出したかったり、幸せでないというわけではない。ただ、明らかな勝利というものにまだ到達できていない中で、翻弄されているだけだ。緊張感のある仕事を行い、あらゆる方面で責任を背負い込み突きつけられ、これらに立ち向かうしかない日々。このような心境というのも、歳を取ったのだろうとしみじみ思う。

 

ものすごく簡単な計算をすると、最後の記事から5年経った。時の経過を感じる。5年前も決して暇ではなかったし、今より手を抜いていたわけではないけど、若さゆえの「まだ本番はこれから」的な心のゆとりというか、甘さというか、傲慢さというか、気楽さというか、そういうものが削り取られてきた5年間だったように思う。だから過去の自分の記事を読むと、ぬかるみを感じる。そのぬかるみに戻りたいと感じるわけではない。ただ懐かしく思い、今をもっと逞しく、密度高く、熱く生きるために、参考にしたいと思っているだけだ。

 

ただ、一つとても残念な実感を述べると、明らかに、僕の個人の人生が持つ時間というバリューがすり減ってきている。30代も終わりに近づき、時間やチャンスが無尽蔵にあるわけではないことに嫌でも自覚的になる。だからこそ真剣勝負であるが、この真剣勝負と向き合うしかないのだということを幼い頃に自覚し、さらにはその時にやるべきもしくはやりたいことに覚醒しているということは、紛れもない才能であったのだと感じる。幼い頃に、野球選手やサッカー選手に憧れ、年が経つとそのことを忘れてしまうが、この年になってまたその時の憧れが、敬意に変換されて戻ってくる。

 

若い時は、頭の良さや格好の良さ、センスの良さや器用さに嫉妬するものだが、この年になると、愚直さや素直さ、あきらめない心や、通底した深みや優しさなどの人間性に敬意を感じるものだ。僕の価値観が変化してきている。おそらく、長い時間をかけて物事や人間や社会を見ているので、その経験値を総合的に考慮した結論なのだと思う。

 

とても多忙だし例のパンデミック中ということもあり、あまり日々バリエーションを持たせることができない。毎日ハードに働いて飯食って酒飲んでジム行ってとほぼルーティンになっているが、そのルーティンだと見えない景色がある。感じれない温度がある。嗅げない匂いがある。聞こえない音がある。昔には決して戻れないし、価値観も逆戻りはできない。心を静寂にして、腹を落ち着かせ、頭を空っぽにして、何が僕にとって重要であるのか、そのことを肌身離さないようにしたい。そこそこ頑張って生きていて、なし崩し的に無為に時間が流れてしまうようなワビサビ感で満たされたプールにプカプカ浮きながら人生を生きたくはない。僕はそのようなループの中に、真の喜びがないことを知っている。そして、そのループの中にほとんどの大人が捕われていることも知っている。僕からすると、そこにあるのは、そこそこの充実感と至福感だ。

 

僕は、グローバルスケールでの圧倒的な達成感や勝利を求めている。それができなければ、僕の人生は負けだったと思うくらいに真剣だ。そのようなことをやる以上、難敵の出現や戦いの連続は避けられない。感性が鈍くなったり忙殺されていたり体力がなくなると、易きに流れがちだ。この文章をもって、絶対にそうはならないという決意としたい。