キャバ | 1丁目住人のブログ

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外資系金融機関でトレーディングをやっていた兄貴ににキャバクラに連れて行ってもらった。付き合いで5回目くらいだ。兄貴は場慣れしすぎている。キャバクラの女の子にスマホで為替の短期トレーディングを15分くらいさせ、儲けが出たのでその分を財布から挙げていた。夏目漱石数人だったけども。

法令遵守をしているキャバクラとは、なんて盤石な商売なのだろうと思った。独身男性も既婚男性も、若くて何も知らない、おだての良いかわいい女の子と話したいニーズはあり、男の方が面白くなくてもかっこ良くなくてもダサくても、お金で解決できる市場こそがキャバクラの醍醐味なのである。

この市場が発達した背景には、男社会がある。男が外で働き、女が家事をするという家父長制が前提にある。今後、女性の社会進出が進み、子育ても仕事もシェアなんてことに近づくにつれて、キャバクラはどう進化すべきなのだろうか。

男が女化し男女になる。女が男化し女男にある。男と女の境界線を崩そうという動きが見られる。その手のオピニオンリーダーはほとんどが、女々しい女男か男勝りの男女である。

地位的(社会的な扱い)な平等はすべきであるのだが、それに伴った副作用として、男女の性的な差をもなくしてしまうと、人類のエネルギー自体が低下してしまうのではないか?という一抹の危惧を覚えた。滝は高さがあると大きなしぶきを上げるが、高さがないと水は濁らないがしぶきは少ない。このまま荒々しくギラついた大きいエネルギーから、洗練された落ち着いた小さなエネルギーへと移行してゆくのだろうか。

まあこんなことを考えてしまったのは、要するに、それだけキャバクラが意外に楽しかったということなのだ(笑)