自分の育て方(1) 自分で自分を育てる必要性 | 1丁目住人のブログ

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さて三連チャン。笑

前回の投稿で、人間各自が独立独歩人生を歩むために「各自の使命に応じた能力をフルに発揮すること」が必要だと書きました。それはどうやったらいいのか?っていうか次のテーマです。”自分を育てる”と言ってもいいでしょう。これについてはまだ自分も習得中ですが、今の見解を書いてゆこうと思う。

僕の考えでは、それは自分が本当に求めているものを追求してゆくこと、です。

独立独歩の反義語は僕的には、依存(会社人間とか)か、放浪(どこにも属さないが意志もない)です。それらの共通することは、自分の意志によってコントロールした人生を生きていないのです。中にはうまく現実に飲まれながら流されることを良しと割り切っている人がいますが、端から見てそういう人は魅力的でないですし、少なくとも僕はそういう人生では満足できません。放浪状態はというとこれは僕にも経験があって、そういう状態だと、世界と自分との接点がなく、自分の自信やアイデンティティを失いがちで、精神的にとても辛いです。個人と個人や、個人と世界とがお互い繋がっているという、幸せ・安心感から遠ざけてしまうように思います。

自分の意志に基づいて生きてゆくためには、自分で自分が満足する状態を知り、そのために自分で環境を作り、チャンスをつかんでゆくしかないのです。なぜ今この”自分を自分で育てること”が必要かというと、誰も個人の人生や幸せに責任を持って面倒を見てくれないからなのです。むろん、家族や恋人や友人が教えてくれるものでもありません。こればかりは、個人の満足からスタートする作業なので、自分自身しか育てる人がいないのです。

昔は、自分は味わったことないですが、右肩上がりの経済成長(=日本人にとっては幸せ度成長)が続き、皆横並びに豊かになってゆく時代が続いていたと思います。それは自分個人の満足を追求する必要に迫られずして皆が豊かになってゆく構図なのですから満足度はあったはずです。バブルがはじけ、日本は失われた10年、20年と続き、日本政府はそれに対して効果的な策が打てたとは個人的に思いません。むしろ何もせず事態を悪化させてしまった。

国の強さ・豊かさが失われると平行して、国と国や会社と会社ではなく、個人と個人で繋がる社会に、インターネットをはじめSNSが世界を変えてゆきました。そしてもはや今更、国や会社や地域に期待する世の中でもないのだと思います。

なぜなら、欲しい情報はインターネットによって無料に手に入って、会いたい人にはSNSで会うことができ、今まで国や法人という単位でしか動けなかった仕事・プロジェクトを個人で探して、仲間を集めて、実行することができるようになってしまったからです。(※もちろん、今までの通り、国や会社単位でしか動けないものも沢山あるということを補足しておきます)

さて、長くなりそうなので、自分の育て方(2)に繋げます。

【まとめ】
・自分を育ててより多くの幸せを獲得するために必要なことは、自身の満足を知り、追求してゆくこと
・今までは国や会社や経済的成長をもたらしていたゆえに、それらへ期待できるだけの信頼感があった
・しかし、日本の経済成長の限界、インターネットの普及により、自分が自分の人生に責任を徹底的に持たざるをえない状況に追い込んだ 後戻りはできない
・自分で自分の人生の責任をとること=自分を育てる方法が求められているだろう