さて、昨日は、現在 NHK Eテレで放送中の『 100 de 名著 』で取り上げられている『 維摩経 』のサンスクリット原典からの和訳本をご紹介させていただきましたが、これは正確な訳の決定版ではあるものの、値段も若干お高めではありますし、大部の書にもなりますので、もう少しお手軽に正しく内容を知りたいという方のために、簡単な入門書もご紹介しておくことにしようかと思います。

 それが、こちら……。

維摩経ひろさちや
ひろさちやの『維摩経』講話 」( ひろさちや/ 2012 年 / 春秋社 )

 この本は、きちんとした学者の先生が一般の読者を対象にして書かれたもので、『維摩経』の代表的な部分を引用しながら一般向けにかみ砕いた解説をほどこして、全体の流れを摑めるように配慮されたものになります。

 巻末には、漢訳からの書き下し文も全文掲載されているので、とりあえずという方にはまずはこの一冊がお勧めかもしれません。

 今更ですが、『 維摩経 』 というお経はどのようなお経かというと、維摩詰ことヴィマラキールティという在家の居士が病気になったのを聞きつけたお釈迦様が、お弟子さんたちにお釈迦さまの名代として維摩の病気見舞いに行ってくれないかと頼んだものの、お釈迦様の十大弟子と呼ばれる高弟たちのどいつもこいつも、過去に維摩にやり込められた経験があるといって尻込みして見舞いの名代依頼を拒否る中、文殊菩薩がしぶしぶながらも維摩を見舞うこととなって、見舞いに来た文殊菩薩と維摩詰との間で、仏教の本質的な部分に関する問答が展開されてゆく、というものであります。

 その本質的な部分については本書を読んでいただくこととして、個人的には、ある意味で説法会場となった維摩宅で見舞客の椅子を心配したり、時計 ( はなかったでしょうが今風に言えば時計 ) をちらちら見ながら、昼食の心配をしているのを突っ込まれる舎利弗がとってもおちゃめな感じがして共感を禁じえません。

 この 『 維摩経 』 は、E テレの 『 100 分 de 名著 』 でこの書を紐解く手助けをしている伊集院光さんの如くに、ある意味で陰々滅々とした日々を送っていた頃の私にかすかな曙光を与えてくれた思い出の書でもあるのですが、そのような個人的な思い出を別にしても、お釈迦様の八万四千の法門の中でもある意味で最も大切なお経の一つと言えるものでもありますので、仏教に興味をお持ちの方にはぜひとも読んでいただきたい一冊であると言えるでしょう。