過日、とあるご神行を兼ねて、関東有数のパワースポットでもある聖地、《大山》へと参詣の旅をしてきました。
現在は真言宗の大覚寺派に所属する
如何なる艱難辛苦があろうとも、それを乗り越えて列車にさえ乗ってしまえば、一刻もかからずに都心を離れ、あるいは、ロマンスカーという無限列車に搭乗すれば、現代の時間単位で一時間もかからずに《伊勢原》という不可思議なる駅のホームに降り立つ事が出来ます。
《伊勢原駅》とは、ゼーレのシナリオにおいて “神奈川県の「新たな観光の核作り構想」地域に認定されている「国際観光地・大山地域」の最寄り駅” に設定されている、と闇の世界では広く噂されている謎の多い駅でもありますが、その駅の改札を抜けて北口へと出れば、そこには多くの下級国民のために用意されたブロイラー・カー(路線バス)の
ここは、運転手の質の悪い事で名をはせる神奈川中央交通バス(クモスケの伝統なのでしょうか?)のたまり場ですので、終点の「大山ケーブル駅」まで、不快な思いをかみしめる必要があるかもしれませんが、ゲスな運転手の不快な態度に堪えながらもしばらく揺られていけば、やがてはどんな下級国民といえども、“神奈川県の「新たな観光の核作り構想」地域に認定されている「国際観光地・大山地域」”の核心とも言える大山の麓へと、必ずやたどり着く事が出切るはずであります。
しかし、今回の私は特別な
そこからは、こま参道なる商店街を徒歩で15分程移動してからケーブルカーに乗ります。

こま参道の石段
三度目となる東京都を含めた四都府県に対する緊急事態宣言発布を控えた大山は、小泉―竹中の極悪コンビに始まり、その流れを盤石ならしめた国賊安倍政権の傀儡として GO TO HELL 政策を推し進める菅政権に対する怒りのシュプレヒコールを心の内に秘めた多くの下級国民たちでラッシュ状態を呈していました。
このケーブルカーに乗るまでのこま参道エリアについては、以前にも訪れた事があったのですが、今回はその先のさらなる秘境エリアに隠されたスポットをご紹介しようと思います。

大山ケーブル駅
約 6 分ほどで私たちを阿夫利神社の下社エリアまで運んでくれるケーブルカーは、通常 20 分間隔で運行されていますが、土日や祝日など多くの人出がある場合には、臨時便という形で 10 分間隔でのピストン輸送体制で対応してくれるようであります
菅政権と小池都政に対する沸騰寸前のやり場のない怒りに体を震わせた下級国民たちで通勤ラッシュ状態のまま麓と下社とを往復するケーブルカーの車内での約 3 分間を、私は胎息の法でなんとか乗り切り、まずは途中駅の大山寺駅で途中下車して、そこから徒歩で大山寺へと移動しました。
空海が来山した折には、空海が錫杖を立てたところから泉が湧いて井戸となるなどの様々な不思議を顕されて、それらが現在では“大山七不思議”と称されているとのことでありますし、さらには日本古来の信仰を大切にし尊重すべきとの事から、山上の石尊権現を整備して伽藍内に社殿を設けるなどして神仏共存に注力してきたとの事でもあります。
ちなみに、山頂の磐座を神格化した石尊権現は十一面観音を本地仏とするものとされ、大山寺のご本尊である不動尊とともに盛んに信仰されていたようであります。
江戸時代には、江之島と並ぶ二大観光地として栄え、徳川家光や春日局などからも篤く信仰されていたという大山寺の本堂であるもともとの不動堂は、現在では阿夫利神社の下社がある辺りに以前は位置していたのですが、明治時代の悪名高き神仏分離令を盾に取った廃仏毀釈ムーヴメントに便乗した愚民どもによる打ち壊しを受けて破壊されてしまい(アンシャンレジウムたる十二坊体制に安穏と胡坐をかいていた当時の上級国民にも責任がないわけでもありませんが・・・)、その後に篤信の信者さんがたの協力で現在の場所に再建されたという事です。
ただ、その土地の由緒を考えると、この時点で大山寺は大きなビハインドを背負ってしまっている事は否定できず、重ね重ねに、明治期の神仏分離令は残念な政策であったと言わざるを得ない所ではありましょう。
それはともかく、私が今回ここを訪れたのは、大山寺の特別御本尊とされる《大山
ケーブルカーの大山寺駅から徒歩で 3 分ほど移動すると、表参道としてこんな峻厳な階段がその威容をあらわにしてきます。

大山寺表参道の階段
もっとも、体力に自信のないご年配の方に対してはこんな急な階段を避ける裏道も《らくらく参道》と称してご用意されていますので、ご心配には及びません。

ではありますが、今回は堅固な信心を表す意味からも、あえて表参道からのご参拝を選択しました。この急な階段を上り終えると、再建された現在の大山寺の本堂がそのお姿を表します。

大山寺本堂
今回、特別にご開帳されている特別本尊の《大山
この《奥殿御開扉》による特別本尊の御開帳は、《令和改元 新天皇陛下御即位紀念》として令和元年5月1日より執行されていたものなのですが、その後の新型コロナウイルス( COVID19 )流行を受けてその完全終息まで、疫病退散祈念として御開帳が延長されているとの事であります。
本堂に入ると、中央に前立的な扱いになってしまう不動明王様のお像があります。その左右に金胎の大日尊がお祀りされ、さらにその左右に開山良弁大僧正と高祖弘法大師様のお像がお祀りされています。
堂内の本尊に向かって最も左側に五大明王さまの護摩壇があって、その五大明王様の護摩壇と、良弁大僧正像との間に奥へと続く入り口があり、そこに設置されている BOX に 400 円を投じると、その奥に広がる《奥殿》へと進む特別な権利を下賜されるという仕組みになっています。
そこで私は、離れたところで作業をしている受付のお姉さんやジジィにも、私がきちんと 400 円を収めた事がわかるようにするため、四枚の百円硬貨を一枚づつ BOX に投じたのでありますが、なんと、その BOX には硬貨を投じ入れても音がしないようにするためのクッション加工が施されているではないですか。
この辺の心配りは、さすがに菩提心の篤いお寺さまならではのご配慮、せっかくの私の《ちゃんとお金払ってるぞ》アピールは不発に終わってしまいました。
Anyway・・・、そこから奥へと歩を進めて表のご本尊の裏側へ回り込むと、ホームページなどには(おそらく)一切案内のなかった《三面大黒天》様が、秘仏としてお厨子の中にお祀りされているのがまずは目につきました。
これは、慈覚大師の高弟・安然が大山寺の第五世だった関係から請来されかつては実際にその修法も行われていたのでしょうが、《三面大黒天》は天台のテルマですので、現在では修法の類は行われておらず、ただお祀りだけされているような風情ではありました(さはさりながら、この秘仏を、たとえ厨子越しにとはいえ拝する事ができるのは、奥殿が特別に《御開扉》されている今のうちだけです)。
それはともかく、その固く扉を閉ざされたお厨子の対面に、特別本尊の《大山
奥殿に限らず本堂内はすべて撮影禁止となっておりますので、そのお姿をここにご紹介する事はかないませんが、かなり拝みこまれたご様子がうかがえるとともに、強烈なインパクトのあるご尊像でありました。
とりあえずはお線香 ( 1,000円也 ) と、ここでしか入手不可能と言われる秘本とを頒けていただきお堂を後にしました。

この秘本は、一見する限りは、真言宗系でよく見るごくごく普通の在家勤行式を装っているのですが、これにある秘薬をかけて炙り出すと、1,000冊に一冊の確率で、そこに世界の神仕組みに関わる秘密が浮かび上がってくる、と、闇の世界では風の噂に聞く事がないとも言われていたりいなかったりするものであり、私はこの秘本をお頒けいただくために、金 400万円也を官房機密費から支出しました。

『大山不動尊法楽常用集』
この秘本は、もちろん、普通に真言宗系の在家勤行式として使われてもなんら支障はありませんので、まぁ、普通にお勤めの拠り所とするのがまともな大人のする事ではあるのかもしれません。
いずれにしても、この大山寺は高幡山金剛寺、成田山新勝寺とともに 《 関東三大不動 》 の一つに数えられている上、《 関東三十六不動尊霊場 》の第 1 番にして、《 関東八十八箇所 》 の第 60 番との事でもあります。
お休みの折には、ぜひ、ご家族で、あるいはお一人で、お詣りされてみては如何でしょうか?
ちなみに、写真は省略しますが、お堂の横手には鯉のいる池があり、お札の授与所で一袋百円で鯉の餌も売っているので、皆様もぜひ、鯉の餌やりにも挑戦してみては如何でしょうか。