さて、そんなこんなで、浅草を後にして上野へと移動し、駅から少し歩いて湯島天神様下にある 《 湯島聖天 》 こと 《 柳井堂 心城院 》 様へと参らせていただきました ( こちらの所属は正式に天台宗という事です ) 。
ここは待乳山様と比較すると大変こじんまりとした感じのところなのですが、もともとは湯島天神さまの別当寺だったところ、明治の神仏分離政策のあおりで湯島天神さまと袂を分かって天台宗に所属する形で生き残ったそうであります。ここも一言お断りすれば本堂でのお参りができるようではありましたが、そこは遠慮して、天神様下にお祀りされている復興地蔵尊様を絡めて軽めに廻らせていただきました。
下の写真は、 《 心城院 》 さんの境内の外にお祀りされている 《 復興地蔵尊 》 様ですが、このお地蔵さまの後ろの階段を登っていくと、かの有名な湯島天神さまの境内になります。

心城院様を後にしてからは、そのままその足で、近代日本の軍産複合体の総本山ともいうべき三菱財閥の創始者である岩崎家の旧邸跡へと移動します。
当時は洋館と和館を別棟にして繋ぐという建築様式が主流だったという事で、この旧岩崎邸もその様式に従う形で別棟として建築された洋館と和館とが連絡通路でつながれる形の洋館をメインに展示しつつ、和館部にトイレや売店、喫茶コーナーを設けるという形で公開されています。
三が日を過ぎてはいたものの、年が明けてまだ間もないにも関わらず、そこそこの賑わいとともに洋館を巡り、和館部にある売店コーナーで特製羊羹を購入して、その隣の座敷でしばし休憩しながらつらつらと考えてみました。

売店隣の和室の床の間飾り
近代建築の遺構としての旧岩崎邸の豪華さや空間の広大さは言わずもがなで、現代社会の庶民の生活からは想像もできないものである事は言うまでもないものなのですが、ただ、それでも、設備面に関して言えば、当時と現代との科学技術におけるいかんともし難い水準の違いというものに鑑みて、例えワープワでさえも現代では、大三菱の当時の創業家にさえも匹敵するような生活を送れているという事に思いをいたし、科学技術の発達の偉大さに感慨を深めるとともに、その発達した科学技術の恩恵を享受させていただいている事について、三宝への感謝の思いをさらに新たにさせていただいたのであります。
そんな感慨を抱きつつ上野から有楽町へと移動し、真のセレブのみが足を踏み入れる事を許されるとも言われるあの 《 帝国ホテル 》 へと向かいました。
帝国ホテルのエントランス正面には二階へと上がる階段があり、その前にドーンとお正月ヴァージョンなお飾りがされていて、セレブな雰囲気を盛り上げています。

上の写真のお飾りに向かって左手側にロビーのラウンジがあり、向かって右手側にフロントがあるのですが、この帝国ホテルのフロントで 「 おかえりなさいませ、ドワン様 」 などと言われるような日が早晩、来るであろうことを予感しながら、セレブな波動を味わう事しばし・・・。
ひとしきりセレブなお正月感を味わってから、地下のアーケード街へと降りて、エスタブリッシュなセレブ達が密かに通うとも言われている、らしいと噂のあの 《 とらや 》 さんに立ち寄り、セレブにのみ供されるとも言われる 《 とらや 》 特製のお汁粉とカプチーノを味わって、本日のパワスポ巡りも終わりです。
帝国ホテルのアーケード街という特別な波動の中に立地する 《 とらや 》 さんで食すカプチーノからは、シナモンの香りがそこはかとなく立ち上り、気分はまさにセ、レ、ブ・・・ ( ちなみにお汁粉はなんと、粒あん、こしあん、白あんの中からお好みで選び放題という事であります ) 。
戦前の日本陸軍の暴走を思い出させるかの如き高級官僚たちによる統計数字の意図的操作や改竄、記録文書の不適切な破棄・改竄が横行する昨今、みせかけの保守を気取る逆賊安倍氏は、かりそめの己が名声を残す事ばかりに汲々として日本の戦後を売り飛ばさんとしているかにも見え、そんな中で、いよいよ新元号が発布されんとしています。
この激動が予想される時代に、皆様が常にカプチーノの香りとともにあらん事をお祈りいたします。