さて、東京都美術館ではただいま大絶賛のもと、 《 ボストン美術館の至宝展-東西の名品、珠玉のコレクション 》 展が開催中のようであります ( 開催期間は 2017 年 7 月 20 日 ~ 10 月 9 日 ) 。同展においては 《 龍神 》 さまの絵も、 “ ボストン美術館の至宝 ” の一品として公開されているらしく、それを拝観させていただく事によって、私も龍神さまのご利益の欠片なりとでもいただけるかな、などと心はずませる今日この頃です。


 そもそも龍神あるいは竜神というのは、仏教的には 《 八部衆 》 として知られている天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽という八種類の異種の存在の内の一つである龍から発展していったもの、という事になっています。


 もともとのインド的な世界観における龍というのは、 《 ナーガ 》 といって水の属性を持った存在で、そこから雨乞いの本尊とされたりしてもいたようなのでありますが、そこからさらに発展して仏教的な世界においては、一般に 《 八大龍王 》 などという呼び方をされるユニットへと発展していったりもしています。


 少し古い話として 『 オカ女 』 では、 「 第十八夜 」 において、オカ女メンバーの mi - co さんと渋沢さんたちが、 “ ローマ法王に米を食べさせた男 ” として知られ、日蓮宗の僧侶でもあるという高野たかの盛鮮じょうせんさんが住職を務めるお寺を訪ねた際の話に触れる形で龍神トークを展開され、さらに 「 第十九夜 」 においては、政清おばさんまでもが自宅に二体の龍神を勧請して毎日お水をあげていると言い出す事態が展開していたのですが、高野さんが所属する日蓮宗が依経としている 『 法華経 』 には、次のように 《 八大龍王 》 というものが説かれています。

" 有八龍王。難陀龍王。跋難陀龍王。娑伽羅龍王。和脩吉龍王。徳叉迦龍王。阿那婆達多龍王。摩那斯龍王。優鉢羅龍王等。各與若干百千眷屬倶 "
鳩摩羅什 譯 「 妙法蓮華經 卷第一 序品第一 」 ( 『 大正新脩大藏經 』 第九巻 p.2. )


 このように、『 法華経 』 における 《 八大龍王 》 というと、一般に難陀なんだ跋難陀ばつなんだ娑伽羅しゃから和修吉わしゅきつ徳叉迦阿とくしゃか阿那婆達多あなばだった摩那斯まなし優鉢羅うはつらの八尊が数えられているようでありまして、この八大龍王についてはウィキペディアの記事があるので、参考までにそれを以下にそのままコピペしておきます ( なお 《 リュウ 》 の字について、大正蔵の原典では 《 龍 》 の字が使われているのですが、 wiki では 《 竜 》 の字と 《 龍 》 の字が混用されています。一般に東洋の神格や神の眷属を指す場合に 《 龍 》 と書き、悪竜としての西洋のドラゴンを指す場合に 《 竜 》 と書く、という使い分けをする方もおられるようなのではありますが、 wiki の当該記事作成者がなんらかの意図をもって文字を使い分けているのか、たんなる不用意による混乱なのかは明らかではありません。いずれにしろ、引用に関しては引用元の字をそのまま使用しておきます ) 。



    ウィキペディアによる 《 八大竜王 》 解説のコピペ
  1. 難陀(なんだ、歓喜: आनंद Ānanda)。難陀と跋難陀は兄弟竜王で娑伽羅(サーガラ:大海)竜王と戦ったことがあった。『不空羂索神変真言経』(T1092)第十六章「広博摩尼香王品」にて。頭に九つの龍を纏う。
  2. 跋難陀(ばつなんだ、亜歓喜: उपनन्द Upananda)。難陀の弟。難陀竜王と共にマガダ国を保護して飢饉なからしめ、また釈迦如来の降生の時、雨を降らしてこれを灌ぎ、説法の会座に必ず参じ、釈迦仏入滅の後は永く仏法を守護した。頭に七つの龍。
  3. 娑伽羅(しゃから、大海: सागर sāgara)。龍宮の王。大海竜王。「沙掲羅」、「娑羯羅」などとも漢語に音訳された。法華経・提婆達多品に登場する八歳の龍女はこの竜王の第三王女で「善女(如)龍王」と呼ばれた。空海が新しく名付けることとなった清瀧権現も唐からついて来たこの娑伽羅竜王の同じ娘の事である。清瀧は如意輪観音の変化身。
  4. 和修吉(わしゅきつ - वासुकि Vāsuki)「婆素鶏(ばすけい)」とも漢語に音訳された。サンスクリット語 वासुकि Vāsukiの意味は、「宝 (खजाना Khajānā)」と ほとんど同じである。よって、「宝有(ほうゆう)」、「宝称(ほうしょう)」とも別称された。陽の極まりである「九」、数が極めて大きく強力であるという意で「九」を冠し九頭とされることもあった。よって「九頭竜王(くずりゅうおう)」、「九頭龍大神」等 呼ばれることが日本では多く、九頭一身と言われ考えられるようになった。元の伝説では千あることから「多頭竜王(たとうりゅうおう)」と呼ばれることも稀にあった。もともとは、須弥山を守り細竜を取って食していたという。
  5. 徳叉迦(とくしゃか、多舌・視毒: Taksaka)。この龍が怒って凝視された時、その人は息絶えるといわれる。身延鏡と金光明経から七面天女は、タクシャカ竜王の娘とされている。
  6. 阿那婆達多(アナヴァタプタ、あなばだった - अनवतप्त Anavatapta)訳:清涼、無熱悩。阿耨達(あのくだつ)竜王ともいう。ヒマラヤの北にあるという神話上の池、阿耨達池(無熱悩池)に住し、四方に大河を出して人間の住む大陸 閻浮提(えんぶだい、贍部洲 せんぶしゅう)を潤すと謳われた。800里にも及ぶ池の岸辺は金・銀などの四宝よりなっていたという。竜王は菩薩の化身として尊崇せられた。
  7. 摩那斯(マナスヴィン、まなし -मनस्विन Manasvin)訳:大身、大力。阿修羅が海水をもって喜見城を侵したとき、身を踊らせて海水を押し戻したという。
  8. 優鉢羅(ウッパラカ、うはつら - Utpalaka)訳:青蓮華(Utpala)、黛色蓮華池。青蓮華竜王。青蓮華を生ずる池に住まうという。インドでは花弁や葉などの形状を比喩的に眼を現すことに用いるが、特に青睡蓮(nilotpala)は美しい眼に喩えられる。仏教では仏陀の眼は紺青色(nila)とされ、三十二相八十種好の一つ「眼色如紺青相」となっている。「青蓮華」は、漢訳仏典で「優鉢華(ウハツケ)」、「優鉢羅華」などと音写される。中国で「青蓮宇(qinglianyu)(セイレンウ)」は仏教寺院の別称。また、仏教で「ウッパラ」といえば、「ウッパラヴァンナー」の故事が著名である。


 このうち難陀竜王は “ 頭に九つの龍を纏う ” といい、和修吉竜王は “ 九頭竜王 ” と呼ばれる事もあるとの事ですが、 “ 九頭龍 ” と言うと箱根のパワースポットとして 《 九頭龍神社 》 なるものが知られています。箱根の九頭龍神社というと、月次のお祭りの際には多くの老若男女……、というよりは、三光ならぬ三高のイケメン男に飢えた多くのスピ女の皆様で芋を洗うかの如き様相を呈している事でも知られているわけですが、そのパワ・スポ効果に対しては、一部の識者たちから疑問の声を聴く事もあり、ある特定の新興宗教団体の信者さんである場合を除けば、参拝のお勧めはし難いところもあるようです。


 一方、同じく 《 九頭龍神社 》 と呼ばれるところでも、もう少し北の方に行くと、東京都西多摩郡檜原村に、天文 14 年 ( 1545 年:天文年間 1532 - 1555年 ) に長野県戸隠村の九頭竜神社から分社されたと言われる 《 九頭龍神社 》 が鎮座されています ( 檜原街道 206 号沿いの数馬7076 ) 。


 この西多摩郡檜原村の 《 九頭龍神社 》 は、檜原村を開いた中村和馬守小野氏経が南北朝の戦いで南朝方として従軍する傍らの 1336 年に、南朝の守護神である九頭龍大神を祀ったことから始まるとも言われ、 1545 年に中村伊賀守藤原信吉による勧請の棟札が現存している、との事でもあります ( このあたりはネット情報のみで裏取りはしていませんが ) 。


 《 偉大な五代目 》 とも言われる月刊ムー五代目編集長から “ 古史古伝を伝える怪しげな文書が伝わるところには必ず絡んでくる ” ( 取意 ) とも言われている 《 南朝 》 方について戦った者によって祀りはじめられ、居皆亭いるみなていの古参視聴者の間では、世界でも数少ない 《 シャンバラ・スポット 》 として知られている 《 戸隠 》 の九頭龍神社から分社されているとは、なかなかにオカルト心をくすぐってきます。


 さらに、こちら檜原村の九頭龍神社は、チベット体操の熱烈な伝道者でもある女優の越智静香さんがかつて、ご自身のブログで絶賛されていていたスポットでもあり、そのうちに現地を訪ねてこの身でそのパワーの程をぜひとも体感してみたいものだ、などと思いつつも、ついついそのままに捨て置いてしまって今日にいたってしまっているという事は忸怩たる事しきりであります。


 ところで、オカ女界隈で龍神というと、パオ Jr. さんの説かれる説か、ちょっとここで言及する事は自粛した方が良さげな方の描く龍神絵画に花が咲くようなのではありますが、私たちオールド・ボーイ世代にとって龍神というと、オカルト密教のパイオニアとも言える阿含宗の故・桐山靖雄ゲーカのぶちかました 『 龍神よ翔べ! 』 などといったものが思い浮かべられたりもしてきます。しかしながら、龍神さんは得られるご利生、現世利益がなかなか強烈ではあるらしいものの、ただ龍神、竜神といって有り難がるのみならずに、マニアな方たちは、その出自にまでさかのぼって龍神さんの格を吟味したりもしなければならないようで、一言で龍神さんと言っても、なかなか一筋縄ではいかない事情もあるようなのですが、そのあたりの話は、この世界のディープな闇に関連してしきてしまうようでもありますので、それについてはまた次回エントリーとしてアップしたいと思います。


 東京都美術館に展示されている龍神さんは、どちらの系統になるのでしょうね。