さて、前回の記事では、 《
この 《 無財の
原典ではただ 《 七種施 》 とか 《 七施 》 とのみ書かれていて 《 無財の 》 という形容は見られないので、いつ頃からこれら七種類の布施が 《 無財の 》 という二つ名を冠して呼ばれるようになっていったのかについては分明ではありませんが、現在では大抵の場合にこれらは 《 無財の七施 》 という通り名で呼ばれているものと思われ、それらは具体的には以下の七つになります。
眼施 和顏 悦色 施言辭 施- 身施
- 心施
- 床座施
- 房舍施
《 無財の七施 》
1 の《 眼施 》 というのはそのままで、キッと睨みつけるような険しい目つきを人に対して向けるのではなくやさしい眼差しを向けることを言い、これを心がける事によって未来に成仏した際に天眼や佛眼を得る事ができるとも言われています。
2 の《 和顏悦色施 》 というのは視線だけではなく顔全体で柔らかい表情を心がけるという事で、これによって、未来に成仏した際には “ 眞金色 ” を得る事になると言うのですが、これは金色のように輝く姿とでも言うところでしょうか。
3 の 《 言辭施 》 というのは、仏教用語では “ 麤惡言 ” などと呼ばれる荒々しく乱暴な言葉使いを避けてやさしい言葉使いを心がけるという事で、これを心がける事によって未来に成仏した際には辯舌の才を得るともいいます。
4 の 《 身施 》 というのは、原典においては父母師長沙門婆羅門、即ち目上にあたる人物という事になるのでしょうが、そのような方々に対して “ 起迎禮拜 ” する事という事になっています。
これは、例えば現代日本において様々に催されているチベット仏教……、ではなくて 《 山岳地帯の信仰 》 の講習会などにおいて、参加者の方々は会場で待機していて、入場してくるチベット人のラマを起立合掌してお迎えした上でラマに対して礼拝したりしているわけなのではありますが、それらの行為がまさにこの “ 起迎禮拜 ” という事になるのではないかと思います。
ただ、この第 4 の身施に関しては、上に述べたような原典における説明と現在世間一般に用いられている説明とに若干の距離があるようで、現在世間的には何か身体を使って他者に対して奉仕することをこの身施の説明として用いているようではあります。
仏教 ( ではなくって w ) 山岳地帯の信仰の講習会などに参加する機会のない方には、原典に説かれているような 《 起迎禮拜の身施 》 というのは行なう機会もないでしょうから、そのような場合には現在通俗的に説明されているような身体を使って他者に対して奉仕する・・・、というような意味に拡大解釈することも良いのかな、とは思います。
これは将来に立派な身体 ( 大きな身体 ) を得る因になるという事のようです。
以上の四つの布施というものも形ばかりで心のこもったものでないのであるならばあまり効果的ではなく、それらを心を込めて善なる心をもって供養し施すという事が 5 の 《 心施 》 と言う事に、原典ではなっているようであります ( ちなみにこれによって一切種智心を得るという事であります ) 。
ただ、これも現在通俗的に説明される場合と原典に説かれているものとは若干ニュアンスの違いが感じられなくもなく、しかしながら、それでもそれは致命的なほどには大きな違いではなく、根本は通底しているものとは思います。
6 の 《 床座施 》 というのは、昔であれば、父母師長沙門婆羅門など目上の方に対して、床座を設けてその坐についてもらい、あるいはすでに自分がついている坐がある場合にはそれを譲ってその坐についてもらう、という事で、現在ではこれを目上の方に限らず、老齢や障害等々で困っている方などを含めて、通俗的に電車やバスで席を譲りましょう・・・、などと奨励されていたりするかと思います ( ちなみに、これによって将来 “ 師子法座 ” を得るという事です ) 。
7 の 《 房舍施 》 というのは、人に自分の家を宿泊する場所として提供する行為の事で、客人をもてなす心がけのことでもあるのかと思います。
雨露を凌ぐ場所を持たぬ人に一夜の宿を提供するというのは、昔なら教会やお寺などといった宗教施設などが担うこともあったでしょうし、在俗の民家において旅の修行僧に対して一夜の宿や食事を提供するなどという事も、昔ならばあったかもしれません。しかし、あらゆる面において社会が近代化された現代においてこれは、様々な意味において極めて困難なものになってしまっていて、無理をしてまでこれに拘る必要性は薄くなっているのではないか、と個人的には思わなくもありません ( ただ、年越し派遣村のような形で実践される社会的な活動としては、意味のあるもののようにも思われますが ) 。
こんな地道な行為をコツコツと積み重ねていく事によって、私たちは仏教の伝統によって古来 《 功徳 》 と呼称されてきた 《 善行のマイレージ・ポイント 》 を着実にポイント・アップしていく事が可能となるのであります ( ちなみに、この無財の七施は、山岳地帯の信仰においては説かれていないようですが…… ) 。
私も、これを機会にこの教えの実践を少しは取り入れて、来年こそは、下谷坂本富士を登拝し、もって開運パワーのシャワーを浴びて、 Big Money を奴らの足元に叩きつけてやれるようになっていたいものであります。