さて、緻密な社会観察から発見した 《 空気 》 や 《 日本教 》 といった独自の概念を駆使し、日本社会の構造を見事に分析してみせた事によって知られる山本七平さんと、地道な学問的考察の積み重ねによって、米ソ冷戦華やかなりし時代にすでにソビエト帝国の崩壊を予言した稀代の学匠・小室直樹さんとのコラボレーションによって生まれた奇跡の書、 『 日本教の社会学 』 が復刻・再刊行されたようであります。



日本教の社会学
山本七平・小室直樹 『 日本教の社会学 』( 株式会社ビジネス社 / 2016 年 )

 この書は長らく絶版 ( もしくは品切れ ? ) となり、一部のマニアの間でのみ 《 秘伝書 》 として珍重されてきたものなのですが、この度、残念なことに……、ではなくって、喜ばしくもめでたく復刻・再刊行の運びとなった由にあります。


 山本さんは終始在野の知識人として活躍し、一方の小室さんも、その弟子筋となる多くの識者たちからは熱烈な評価を受けながらも、その天才故の奇行がたたったものか、教授上がりは果たせぬままに一学問人としての生涯を全うされた方であります。


 山本さんに関しては、イザヤ・ベンダサンというペン・ネームでユダヤ人と日本人とを比較的に論じた書をものした事などをとらえて、一部のインテリからは 《 ニセ・ユダヤ人 》 などというありがたくない批判を受けたりする事もあるようですし、その考察のすべてが学問的に正しいというわけでもない事は、本書における山本さんの対談相手である小室さんも重々に承知している事ではありつつも、それでもなお、その考察の鋭さには捨てがたいものがあり、それ故に、学問人としての小室さんがひと肌脱ぐ事によって、山本さんの考察をより多くの人が理解し活かす事ができるようにせんとした作業の結実が、本書の刊行というわけであります。


 本書がはじめて世に出されたのは 1980 年代の初頭になるのですが、その頃においてすら世界はすでに混迷を極め、その混迷を切り開く一助とするための本書の刊行であったわけでもあります。しかし、昭和から平成へと元号を変えた現在では、状況は当時をはるかに凌いでさらにその混迷の度合いを深め、本書を秘伝書として密かに愛読してきた私から見てさえも、本書が現代の状況に対してどれほど有効たり得るかについては、一抹の不安を感じざるを得ないというのが正直なところではあります。


 そもそも論から言えば、本書は私たちのような末端の国民よりも、権力を握っている為政者や行政官のような立場の人間にこそ、熟読の上にも味読を重ねて咀嚼されるべものでもあり、権力と無縁な読書人のような立場からそれを読む事に、いかほどの意味があるかについては、疑問を否定できかねない部分もなくはないものではあります。


 しかしながら、世界の真相を知る鍵が目の前にあるにも関わらずそれを看過するというのは、世界の裏で謀られている陰謀を知らないままに自らの家畜化を受け入れるにも等しい愚行と言うべかもしれません。


 それに、この書を読んでいれば、池上某とかいう知識人のお説教も、デジャヴととともにやり過ごす事もできるかというものでありましょう。


 この書は、まだ若く鬱々とした日々を送っていた時代の私に、かすかな曙光を与えてくれた思い出の書でもあり、できればこのまま思い出の中に秘め、密かな愉悦を味わう時を失いたくなかったとの思いがなくもないものではありますが、現実として再刊行されるに至り、今なら書店の店頭で誰でもが気軽に手にとる事ができます。それはおそらく、時代の精神がこの書を欲した故なのでもありましょう。


 いずれにせよ、こうして再刊行された以上はそれをそのまま看過する事なく、心ある勇者はこの書をその手に取って、世界の深淵の一端なりとをぜひご覧ください。


 テレビではただでさえくだらない番組ばかりが垂れ流されている昨今、これから迎える年末年始という時期は、それにさらに輪をかけてくだらない特番ばかりが垂れ流される時期でもあります。そんな年末年始の暇つぶしがてら、団欒はそこそこに切り上げて、一人書斎に籠って、時代を代表した知性の軌跡をトレースしながら、来るべき未来への暗澹を噛みしめてみる、というのも乙なのではないでしょうか。