さて、世情諸々あるこんな折りも折りではあるわけですが、ダライ・ラマ 14 世法王猊下が来る 2012 年 11 月にまたまた来日される由にあらせられるようであります ( 詳細はこちら ) 。
これはダライ・ラマ法王日本代表部事務所の公式 H P 上ではずいぶんと以前から告知されていたので、マニアの間ではすでに広く知られていた話ではあるものの、ついに昨日には 『 朝日新聞 』 という一般全国紙の紙面を使った広告を打つという形で、マニア以外のごく普通の一般の方々にまで広く知られるようになった、のではないか、と思います。
ところで、諸外国、特に欧米白人諸国においては、ダライ・ラマ法王が来訪したとなると多くの場合に当該国の政治的有力者とダライ・ラマ法王との会談などがセッティングされ、その会談のパブリシティ・パネルが華やかにメディア各紙誌の紙誌面を飾るのが常のようでもありまして、例えばオバマ米合衆国大統領とダライ・ラマ法王とのツーショット写真のようなものもそのコピペなどが、日本の新聞紙上においてもその紙面の片隅程度には掲載されたりしているのを目にした事のある方もいるのではないかと思います。
そのような国際社会における国際的な常識の一方で本邦においては、すでにダライ・ラマ法王の来日が度重なっているにも関わらず首相はおろか政府関係者や閣僚のような政治的要職にある者が来日を果たしたダライ・ラマ法王と会談するというような事は皆無であったという現実があります。
これは、かつてはダライ・ラマ 14 世法王が来日すると耳にするや否や中華人民共和国の担当者から日本の外務省に何やら訳のわからない抗議なるものが寄せられていたというようなお話もあるようではあって、そのような経緯に鑑みるに、中華人民共和国の傀儡であり中華人民共和国の意向を汲んだ日本外務省内のチャイナ・スクールなる勢力に対する分不相応な配慮に起因したものかとも思われます。
獅子身中の虫とも魔窟とも言うべき日本外務省の宦官官僚に支配された日本の無能な政治屋程度の中には、国際情勢下の常識に鑑みて来日するダライ・ラマ法王と会談しようなどという度量のある人士を見出す事は、三千世界の中において角の生えた兎を捕獲するほどにも絶望的なことなのかとも思います。
但し、フリー・チベッターとも言われる政治活動家たちはそのような日本の現状に対してとやかく言うのかもしれないものの、私個人としては、この夏以前までの国際情勢下においてならば、それもやむなく致し方のないことだったと、百万歩ほども譲れば言えない事もないのではないかな、と思わなくもないわけではない事もなくはない、というのが正直なところではあります。
そもそも戦後の日本は一貫して世界の二等国以下の国家なのであって、決して一等国ではありませんでした。
かつて大日本帝国を名乗っていた時代には、一時的に世界の一等国となった時代もあったものの、その時代においてさえ、当の大日本帝国の政治家にその自覚が微塵もなかったという事実は、
世界の二等国に過ぎない日本であるならば中華人民共和国が、日本の領土・領海・領空外に存在する中華人民共和国の周辺国家に対していかなる蛮行を行おうとも、その事に対して沈黙をもって応じるという事も、唯一の選択肢ではない上に賢いとも言えないものの、一つの選択肢ではあろうかと思います。
が、しかし、時代は刻一刻と移り変わって行き、今や日本を取り巻く国際情勢は大きな転換点を迎えています。
かつて偉大なる大中華帝国を築いた民族としての誇りを自らかなぐり捨て、恥を知る心をも遠く捨て去って、ただ数ばかりを無駄に繁殖させた小民族大集団と成り果てた小漢民族国家たる中華人民共和国政府とその人民らは、今やその圧倒的な人海を背景とした軍事力をもって日本固有の領土である尖閣諸島を侵略せんとしています。
もちろん、現状においては、軍事的な衝突はあまり現実的なものとは思えないものの、世界屈指の戦略核兵器と圧倒的な人海を背景とした軍事力を恫喝の具としつつ、中華帝国伝統の狡猾な情報操作戦術によって日本固有の領土である尖閣諸島に対する非軍事的侵略は着々と進んでいる現状が否定しがたくあるわけであります。
このような中華人民共和国の日本の領土に対する非軍事的な侵略行動に対して、日本もなんらかの有効な対抗措置をとらなければならないわけなのではありますが、宦官官僚どもに骨抜きにされてしまった日本の政治屋にはなんら有効な手段を有し得ないというのが現状なのかもしれません。
が、しかし、そのような国難とも言うべきこの時期に、
わずか一か月余り先とは言え、猫の目のようにコロコロとその姿を変える日本の首相を、ダライ・ラマ法王が来日されるその時点でいったい誰が務めているかはまったく予想もつかないものの、誰であれ、ダライ・ラマ 14 世法王猊下が来日された時点で日本の首相の席についているその者は、来日されたダライ・ラマ法王と会談すべきでありましょう。
日本の総理大臣と来日されたダライ・ラマ 14 世法王との会談、これほど中華人民共和国に巣食う帝国主義者どもに対する効果的なカードはないのではないでしょうか。
日本の総理大臣とダライ・ラマ 14 世法王とが親しげに会談する模様を写したツーショット写真が全国紙の一面を飾り世界にも配信されるならば、それは極めて明確なメッセージを中華人民共和国の帝国主義者たちに与えることになるはずです。
当然のことながら中華人民共和国の帝国主義者たちはヒステリーを起こして、表面的には激しく日本を非難してくる事は必定とは言え、その言葉は何らの力をも持つ事はないでありましょう。
なにも日本の総理大臣がダライ・ラマ法王と会談したからと言って、ただちにチベット問題について言及する必要はないし、ましてや日本固有の領土である尖閣諸島に対する中華人民共和国の侵略の危険性などについて話し合う必要もまったくありません。
現時点においては、日本は 《 一線 》 を超える必要性は全くないわけなのでありますが、しかし、その未だ超えてはいない 《 一線 》 と言うものの存在する事を示す事には十分な意義というものがあるものと考えます。
そして、日本の総理大臣がダライ・ラマ法王と会談する事によって、その 《 一線 》 の存在を中華人民共和国の帝国主義者たちに対して明確に示す事が可能となるのであります。
日本の総理大臣は、ただ淡々と、来日された国際的な要人であるダライ・ラマ 14 世法王猊下と会談すればよいだけなのです。
そしてただ、その会談において、日本がアジア地域において過去に大きな過ちを犯した事があるものの、現在ではそれを深く反省した上で国際的な紛争を解決する手段としての武力行使を放棄する旨を宣言した平和憲法を国是としているという客観的な事実を述べ、そのような国家の代表として、自らの国土を失いながらも武力に訴える事によってその国土回復を図る事をせず、非暴力平和主義を唱道するダライ・ラマ 14 世法王猊下の姿勢に対する共感の意を表明すればいいだけの話なのであります。
そして、その上でさらに余裕があるならば、今回の日本政府による日本固有の領土である尖閣諸島の地権者からの土地購入 ( 国有化 ) に関して、中華人民共和国の政府要人が 「 中台共闘 」 などという事を発言しているようでもありますので ( 一方の当事者である台湾側はそれに対して若干及び腰ではあるらしいですが ) 、それに鑑みて、 《 二つの中国 》 という事についても言及すべきでありましょう。
従来日本は、中華人民共和国との国交回復に伴っての中華人民共和国の要求に従って 《 一つの中国 》 という政策を取ってきたわけでありますが、その当の当事者である中華人民共和国の側が 《 中台共闘 》 などと言い出し始めたわけであります。
《 中台共闘 》 と言うからには必ずや 《 中 ( 中華人民共和国 ) 》 と 《 台 ( 台湾 ) 》 との二つ ( の中国 ) が無ければならないはずであります。
本来ならばこんな危険な発言をした者は中華人民共和国内においては政治的にはその瞬間に失脚すべきはずの致命的な暴言であるはずなのであります。
ここを指摘せずにいったい国際政治の場で何をしようと言うのでありましょうか。
もちろん、この指摘は必ずしもダライ・ラマ法王との会談の場においてなさなければならないものでは全くなく、別の場においてでもまったく構わないわけではありますが、その指摘自体は必ずやなされるべきものであります。
いずれにしろ、日本国の総理大臣は必ずや今回のこの機に来日されるダライ・ラマ 14 世法王と会見すべきではありましょう。
が、しかし、日本の総理大臣にそのような見識を求める事が困難である事は容易に予想され、そうであるならば、少なくとも今回の国難発生の先鞭を切ったとも言える石原慎太郎東京都知事ていどは、ダライ・ラマ法王と会見すべきでありましょう。
もちろん、私のこの主張はフリー・チベットのためではなく、日本の国益に鑑みた上でのものではありますが、チベット側にしたところで、それに一体なんの問題があるというのでありましょうか。
チベット側からすれば、たとえどのような事情からであろうとも、日本の政治的な要人とダライ・ラマ法王との会談が実現する事には十分なメリットがあるはずであり、それを自分たちに有利に活用する事ができるかどうかは、ひとえに彼ら自身の政治的なセンスにかかっているわけでありますから、これはまさに 《 ウィン・ウィン 》 な会談と言うべきでありましょう。
……。
ところで、広告の打たれた横浜法話・講演以外の日程では様々なテーマが設定されているようではあるものの、科学においては一介のド素人にしか過ぎないダライ・ラマ 14 世法王が何を語ろうが興味はないし、年寄りをオミットした上での青年を対象にした講演会にも用はないのではありますが、広告の打たれた当の 11 月 04 日の横浜法話・講演においては、チベット仏教では定番ネタとも言える 『 Eight Verses of Training the Mind (
国難に対する対処はそれはそれとした上で、日常生活の上においても様々な困難におおわれている現代日本の格差社会の中において、より能く生きていくためのヒントがあるものかないものか、横浜に足を運んでみるというのも悪くはないかもしれませんね。