観音菩薩の現世浄土とも言われるチベット。

 チベットと言えば仏教、そしてチベットの仏教と言えばまずはダライ・ラマ法王という化身をチベットに送り込んだ張本人とも言うべき観音菩薩。

 と言うことで、観音菩薩と言えば 「 オン・マニ・ペメ・フーム 」 という六字真言ですね。


 曲全体のアレンジなどは Ani Choying Drolma さんというチベット人の尼さんのアーティスティックな心霊音楽の作風にも似た響きでなかなかに素晴らしく、ヴォーカルも素晴らしいのですが、今一つ残念なのは、この方自身がこの楽曲を正しく解釈しているようには思えない事です。


 ヴォーカルの方が最初にアップで映るシーンの表情は表現することを楽しんでいるという感じで、この楽曲 ( の映像表現を含めた上でのそ ) の趣旨からはかけ離れたものになってしまっています。


 この楽曲全体のアレンジを映像とあわせて解釈するならば、それは 「 TibetThis is not America 」 であり、 「 This is not Tibet 」 であるはずなんですよね。


 これは、本来の < あるべきはずのチベット > と < あるべきでないにも関わらず現にあるチベット > の姿とを対比させることによって、 「 こんなものはチベットじゃない 」 という思いを心の叫びとして表現しているものです。


 それは決して単純な民族音楽であるとか信仰心だとか、あるいは死者に対する哀悼だとかを表現したものなどであるはずもなく、その文脈においては、この明るげな表情というものは決してあり得べからざるものと言うべきなのではないかとも思います。



David Bowie/Pat Metheny - This Is Not America (Promo Clip)

 上のビデオ・クリップにはデビッド・ボウイは出てこないのでその表情は分かりかねるというべきなのでしょうが、同じライン上にあるとも言える 「 Let's Dance 」 のビデオ・クリップを見れば、 「 This Is Not America 」 を歌うデビッド・ボウイが決して Yungchen Lhamo のような明るい表情を取らなかっただろう事は容易に想像する事ができると思います。



David Bowie - Let's Dance (1983) (Clip Video)

 私自身はこのビデオ・クリップの趣旨には必ずしも賛同しているわけでもないのですが、それでもふと立ち止まって考えさせられてはしまいますよね ( ちなみにカツマーな所得至上主義はいずれにしても論外ではありますが ) 。

 この曲は 2007 年には別な歌手によってカバーされたらしく、下の動画の後半は新しいヴァージョンが紹介されています。



"Let's dance" - David Bowie VS Craig David

 ・・・が、ところ変わればと言うか、この解釈はなかなかアヴァンギャルドかもしれません 叫び


 ファンタスティック・・・、と言うべきか はてなマーク


 個人的にはこのような解釈も好きだったりはしますが・・・。


 もっとも、デビッド・ボウイ版も別に歌詞自体はそれほどに文明批判的な内容ではないようなので、映像表現による部分の大きさというものもたぶんにあるようではありますが、少なくともデビッド・ボウイもクレイグ ( ? ) ・デビッドもそれぞれのビデオ・クリップの内容はきちんと把握していたようには感じます。


 ・・・、とここまで書いたところでよくよく考えてみれば、 Yungchen さんの場合はシンガーに対してそのビデオ・クリップの映像の趣旨はおそらく伝えられていなかったのだろうな・・・、という事も考えられることに気が付きました。


 シンガーさんが演じている部分だけを取り出してみるならば、確かに別な解釈もできなくはないので、これはプロデューサー・レベルの失敗ですね。



 まことに惜しい限りではあります。