今日は春の訪れを喜んでシルフたちが ( ) 宴会騒ぎをしていたようです ( ぶっちゃけ・・・、風が強かったですね、て話です ) が、春らしいポカポカ陽気で良い一日でした。
明日はいよいよ彼岸の中日ということで、今日の記事はお彼岸と金剛般若経についての話 ( 2010 年 3 月 18 日の記事 → こちら ) の続編です。
時に日本三大怨霊と呼ばれる事もある菅原道真や崇徳上皇、平将門などにはやや及ばないまでも、平安時代の大物怨霊として有名なお方の一人に早良親王 〔 さわら・しんのう / 天平勝宝 2 年 ( 750 年 ) - 延暦 4 年 ( 785 年 ) 〕 という方がおられます。
早良親王というのは光仁天皇 ( 白壁王 ) の第ニ子 ( たぶん ) で、 ( たしか ) 第一子として天平 9 年 ( 737 年 ) に生まれた桓武天皇の同母弟にあたる人物です。
早良親王という方は、兄の桓武天皇には安殿親王という息子がいるにも関わらず、桓武天皇の即位に際して東大寺の次期別当という優雅な身分を捨てさせられ還俗させらられてむりやり ( ? ) 皇太子にさせられてしまったかわいそうな御仁です ( これは父君である光仁天皇の強い希望だったとか・・・ ) 。
当時はちょうど奈良仏教界からの政治への口出しを避けるためや先々代 ( 称徳天皇 ) の代まで約 100 年にわたって続いた天武系の天皇体勢に対して天智系の光仁・桓武天皇が即位したのを機に天武系色を一掃する等々の理由で都を奈良から ( 山背国乙訓群長岡へ ) 移すという首都移転作業中だったのですが、その事業の責任者であった造営使・藤原種継が長岡京遷都の翌年にあたる延暦 4 年 ( 785 年 ) に暗殺されるという事件が起きてしまい、その際に早良親王はその暗殺事件の首謀者の一人として身柄を拘束され廃太子された上に乙訓寺に幽閉、さらには淡路島へ配流されるという憂き目にあってしまいました。
しかし、断固無実を主張する彼はハンガーストライキに打って出て、淡路島へ送られる途中で河内国は淀川に架かる高瀬橋付近で憤死 ( とも餓死とも ) してしまったという事で ( もしかしたら謀殺された可能性もあるかもしれませんね? ) 、彼の遺体はそのまま淡路に流されて埋葬されたという事です。
まぁこれで、桓武天皇からすれば邪魔者がいなくなったので万々歳といったことになるはずだったのですが、あにはからんや、早良親王の死後の延暦 5 年 ( 786 年 ) には桓武天皇の夫人の一人であった藤原旅子の母が亡くなり、延暦 7 年 5 月には旅子本人も死亡。さらには延暦 8 年には桓武天皇の実母である高野新笠が亡くなり、延暦 9 年には皇后であった藤原乙牟漏も突然亡くなるなどと桓武天皇の近親者の不幸が重なるとともに、都では疫病がはやり各地で天変地異が続発した、といういかにもなストーリーが展開してしまいました。
そこでこれは非業の死をとげさせられた早良親王の祟りではないかという事で、早良親王に対する慰霊の儀式を行ったりもしたらしいのですがそれでも祟りが鎮まる気配はなく、ついに桓武天皇は遷都したばかりの長岡京を捨てて、延暦 13 年 ( 794 年 ) に平安京へと再遷都するとともに、桓武天皇の勅願によって早良親王ほかの怨霊神を祭神として祀る ( 上 ) 御霊神社を建立し、さらには早良親王の遺体を淡路島から内地へと移して改葬したり ( 大和・八嶋陵、 798 年 ) という事を繰り返したという事です。
それでもなお怨霊と化してしまった早良親王の祟りが鎮まる事はなく、延暦 19 年 ( 800 年 ) に早良親王に対して < 崇道天皇 > と追号し 〔 “ 崇 ” を “ 祟 ” とする表記もあるようで、実際 “ 崇 ( あがめる ) ” は “ 祟 ( たたる ) ” を意識してのものだろうなとは思われますが、ここでは “ 崇 ” と表記しておきます 〕 、後には都の鬼門の崇導神社 ( 崇道神社 : 京都市左京区上高野、叡山電鉄 叡山本線 三宅八幡 駅 徒歩 6 分 ) に崇道天皇を祭神として祭祀したとされています 〔 社伝による創建は貞観年間( 859 年 - 877 年 ) 〕 。

諸々の秘密を暴露した極秘史料を満載した謎の資料
そんな前振りの中で、かの大同元年 ( 806 年 ) の彼岸会法要が挙行され、 『 日本後記 』 〔 桓武天皇から淳和天皇まで ( 792 年 - 833 年 ) を扱う勅撰史書、全 40 巻 〕 に 「 崇道天皇を奉る為に、諸国国分寺の僧をして春秋ニ仲月別七日、金剛般若経を読ましむ 」 と記されることとなったわけですね。
こういった事情というものを考えてみると、現在ではただのお墓参りの風習として残っている春と秋のお彼岸というものも、もともとは < 怨霊鎮め > の法要であったのだという事が分かるかと思います。
その意味では、一般的には 863 年 ( 貞観 5 年 ) 5 月 20 日に神泉苑で行われたもの ( 『 日本三代実録 』 〔 清和・陽成・光孝の三代 ( 858 - 887 年 ) を扱う勅撰史書、全50巻 〕 ) が御霊会の初出とされているわけですが、実質的には大同元年の 『 金剛般若経 』 の読誦会こそが御霊会の嚆矢であるとも言えるのかもしれません。
それはともかくとして、いずれにしろ一国の首都を移転し元号を改めてさえも鎮まる事のなかった早良親王という強大な怨霊を鎮圧する最終兵器として投入されたものがかの 『 金剛般若経 』 の読誦だった、と考えることもできるかと思います。
ちなみに、桓武天皇が崩御された年にすぐ改元 ( 延暦 → 大同 ) するとは平城天皇 ( 安殿親王 ) はけしからん奴だ、という意見を目にしたこともあるのですが、古代における改元には呪術的な意味もあったのですから、この改元は早良親王の祟りを意識してのものと考えるべきでしょう。
閑話休題。一般に般若諸経の心髄、エッセンスを集約した経とされる 『 般若心経 』 は非常に霊的なパワーが強くお祓いにも効果的なお経として知られていますが、これはチベット仏教などでも同様で、チベット仏教の伝統でも 『 般若心経 』 は三大祓いとでも言うようなものの一つに数えられている程です。
それをチベット的には “ 無自性空の真理を説いているから ” と説明しているのですが、その伝でいくと 『 金剛般若経 』 というものも 『 般若心経 』 と同様に “ 無自性空の真理 ” を説いた経典であるわけですから 『 般若心経 』 と同様に魔を祓うパワーを秘めているという事が言えるのかも知れません。
この 『 金剛般若経 』 は顕教経典ではあるのですが、 『 般若心経 』 などと同様にその最後に真言が掲載されていますので ( ただし漢訳諸経の中では羅什訳のもののみ真言が附され、それ以外のものには真言は掲載されていません ) 、ここでは前回のエントリーで紹介したチベット語訳の 『 金剛般若経 』 に掲載されているものをご紹介しておきます ( チベット語訳の 『 金剛般若経 』 に附された真言は羅什訳のものに附されているものよりも若干詳しくなっているようです。 ) 。
この真言を唱えると結構長めの 『 金剛般若経 』 を何回も唱えたのと同じになる、という事です。
ここでは漢訳の 《 金剛般若偈 》 と、一昨日の記事 ( → こちら ) で紹介した羅什訳の漢訳から言葉を補って意訳した 《 金剛般若偈 》 も併せて示しておきます ( チベット語訳版は紹介済みですし、画面が重くなるので省略しました ) 。
( いっさいういほう にょむげんほうよう )
如露亦如電 應作如是觀
( にょろやくにょでん おうさにょぜかん )
縁起によって創られた
すべての存在するものは、
夢のようなものであり、
幻のようなものであり、
〔 川面に浮かぶ 〕 泡沫のようなものであり、
影のようなものであり、
朝露のようなものであり、
雷の電光のようなものである。
まさに、この様な世界の観方を作 ( な ) すべし。
ナモ・ バガワテ プラギャー・パーラミタイェ
オン・ナタタティタ イリシ・イリシ ミリシ・ミリシ
ビナイェン・ビナイェン ナモ・バガワテ
プラッダ・ティヤン・プラ・ティ
イリティ・イリティ ミリティ・ミリティ
シュリティ・シュリティ ウシュリ・ウシュリ
ブユイェ・ブユイェ・ソーハー
チベット文字はフリーのチベット文字表示システムが不完全なため ( フリーなので文句は言えません ) 一部ローマ字変換で表記してあります。また、真言は不翻 ( 意味は訳さない ) が本義ですので、ここでは発音の目安だけカタカナで記してみました ( ほんの目安で間違いもあるかもしれませんが ) 。
“ バガワテ ” の “ バ ” の字は底本本文には欠けていたものの、底本に併録されていた要略版にはあった事や前回のエントリーで紹介した中村=紀野訳の岩波版 『 般若心経・金剛般若経 』 の訳注にもあったので補いました ( 同書の訳註を見ると、上記真言中の “ オン・ナタタティタ ” は “ オン・ナテーティタ ” となっているようですが、ここでは一応底本に従って示しておきました ) 。
また、デルゲ版の 『 金剛般若経 』 は本文のみで終わっていてこの真言を掲載していません。中村=紀野訳の岩波版 『 般若心経・金剛般若経 』 の訳註では普通にチベット語訳版の真言について言及していたので中村=紀野氏らが参照した ( と思われる ) 北京版の 『 金剛般若経 』 には収録されているものと思われ ( 未確認ですが ) 、チベット語訳版では訳者の違いというよりは大蔵経の版の違いによって真言の収録の有無の差があるようですね。