学校の保健室を訪れた生徒の心を破壊しながら日本各地の高校の保健室を渡り歩いているとして全国の保健教師 ( 養護教諭 ) の間でその存在が噂されている神出鬼没の保健室の謎の怪人 Dr.G ( ドクター・ゲー ) こと Goldstein 幻夜 ( ゴールドシュタイン・げんや ) とその Dr.G に教え子を犠牲にされ、 Dr.G によるさらなる被害の拡大を食い止めるために夜の街を彷徨して情報を収集しながら復讐の機会を窺う保健教師 ( 養護教諭 ) の片桐京子。
というような基本設定のお話が氷室奈美さんの怪作 『 保健室の怪人 』 全 2 巻になります ( 下の写真はその内の第一巻です ) 。
謎の保健室の怪人として登場する Dr.G の正体は第二次世界大戦のさなかに大日本帝国陸軍がナチスに協力してドイツで作り上げられた殺人兵器。
< 狙った人間を必ず狂わせ、自らは痛みを全く感じることのない人造人間 > として製造されたものの < 自ら痛みを感じてしまう > という不良品であったが故に虐げられた過去を持ち、それでもなお ( 設定プログラム上の? ) 父であるナチス総統ヒトラーの愛を求めて今日も全国の保健室を彷徨う哀しい怪人・・・。
デビュー作もそうだったんですけど、この作品もかなり病んでいます。
もしかしたら氷室奈美さんにとっての漫画家としての創作活動って自身に対するセラピーの一種だったのかもしれないな、と感じさせてしまうほどの怪作ですね。
もちろん、この手の創作物とその創作者のプライベートが必ずしも同期しているとは限らないことは充分承知していますが、同期している場合もたまにはあったりして ( オーケンなんかはその例ですよね ) 、そのなんらかの 《 内的衝動 》 がたまたま創作手段 ( 才能 ) を持っている人の場合にこの手の漫画やアニメ ( は組織性が高いから成立しにくい場合が多いとも思いますが ) 、あるいはより従来的には小説などの文学や絵画、音楽などといういわゆる芸術作品と呼ばれるものとして昇華される形で結晶化することによって、創作者が癒しを獲得するということはありがちな事のように思えます。
一見すると病んだ心や 《 内的衝動 》 の発露のように見えても、それが 《 単なる才能 》 にしか過ぎない場合はその創作活動が長く継続するものです ( 才能が枯渇せずに続く限りはです ) が、病んだ心や内的衝動の発露されたものである場合にはその内的衝動の昇華によって癒しを得る事によって創作活動が継続されなくなる傾向があるようにも思います ( 必要性がなくなってしまうから・・・、もちろんすべてがそうなるというわけではありませんが ) 。
その意味からいうと、氷室奈美さんが現在はオーラドローイングというスピリチュアルな活動をして漫画の創作活動から遠退いているというのも、漫画という創作活動とともにスピリチュアルな活動に癒されてしまったから、あるいはスピリチュアルなものによって癒される事ができるのでもう漫画という媒体によって自身の内的衝動を昇華する必要がなくなってしまったからとも考えられるような気もします。
上に紹介した第一巻の併録作品となっている 「 痴人の恋 」 なども単にホラーというよりはど真ん中な感じで精神を病んでいる感じでしたね。
そんな氷室奈美さんのこの怪作も、作品としての出来栄え云々とは別な次元で、再刊の目はあまりなさそうな感じがします。
・・・。
あっ、それと病んでいると言えば第一話にでてきた 「 愛と夢のサディスト 」 の米川千絵さんとぬいぐるみのクマちゃん・・・、いかにもな感じでしたが、 《 クマちゃんのぬいぐるみ 》 といえば宇多田ひかるさんなどもやけに 《 クマ 》 さんに対するこだわりがあるようで、なんか微妙に病んでる雰囲気が漂っていますね ( 彼女の場合は癒されることがなさげな感じがしそうですが ) 。
まぁ、それでも社会的にも経済的にも法外なほどの成功を収めているのですから、幸せを認識すべきなのでしょう。