今日は西暦で 2010 年の 3 月 10 日。

 この 3 月 10 日をチベット人たちは 《 》 などと呼んでいるらしいです。


 これは日本語に訳すと 《 3.10.記念日 》 とでもいった感じで、もちろん記念日とは言っても決してお目出度い記念日などではなく、チベット人が 21 世紀の現在において中華人民共和国政府もしくは同国の行政権力から受けた暴力的な被害を政治的弾圧として忘れないようにしようとの意識からのものではあって、日本人のチベット・サポーターなどという人種もこれをさかんに宣伝したりされているようではあります ( 私もそういった宣伝の一つからこれを知りました ) 。


 ところで、・・・、この 《 3 月 10 日 》 という日は、私たち日本人自身にとっても絶対に忘れてはいけない記念日である事を知っている日本人がいったい現在の日本にどれほどいるでしょうか。


 3 月 10 日は第二次世界大戦のさなか、当時の大日本帝国の首都であり現在の日本の首都でもある東京が、当時の米帝国軍によって 1944 年 11 月 14 日以降に 106 回にわたって行われた空爆のなかでも特に爆撃の規模が大きくその被害も甚大であった 《 東京大空襲 》 と呼ばれる大量の民間人を標的とした大量虐殺という 《 非人道的 》 極まりない戦争犯罪行為による被害を受けた日であります。


 当時の東京には、現在ほどではないにしろ多くの 《 民間人 》 が居住し日々の暮らしをおくっていたわけですが、そんな大量の民間人が日々の生活を送っている東京に対して、一般の民間人がすっかり安心して寝静まっている深夜に米帝国軍が突如として大空爆を実施したわけですね。


 この空爆を実施するにあたって、彼らは「 室内の畳を日系人の多いハワイからわざわざ取り寄せるなどして精巧に作り上げられた 」 という 「 日本家屋を再現した実験場を作り、大規模な延焼実験を行 」った上で日本の大量の民間人を虐殺するために、その事を目的として東京大空襲を実施したわけであります ( 出典はウィキですが w 、東京大空襲は現実に起こった事実です) 。


 しかも、ご丁寧にも 22 :30 頃に一端、囮の飛行部隊を飛ばしてそれを房総半島沖に通過させて日本人を油断させた後の隙を突いて、3 月 9 日から 3 月 10 日に日付が変わった直後の 0 :07 分に大爆撃を開始するという念の入れようだったという事です。


 この東京大空襲で日本の大量の民間人が虐殺され、多くの日本人が住む家を奪われ、親を奪われ、子供を奪われ、孫を奪われ、祖父母を奪われ、家族を奪われ、恋人を奪われ、財産を奪われ、職業を奪われ、そして全てを奪われたわけですね。


 でも、今の日本人でこの日の事を覚えている人はほとんどいないのでしょう。


 ちなみに、 《 B-29 爆撃機 》 や 《 焼夷弾 》 などという言葉は私も知っていましたが、 《 ナパーム弾 》 や 《 クラスター焼夷弾 》 などという言葉があの時代にすでにあったという事はウィキを見るまで知りませんでした。ベトナム戦争あたりからだとばかり思っていたので、自らの不明を恥じているところです。


 東京大空襲の際の 「 火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、秒速50m以上、竜巻並みの暴風が吹き荒れた。 」 ( by ウィキ ) とのことで、血に飢えたアングロ - サクソン族のアメリカ人たちの日本民族虐殺にかける意気込みのほどが窺えるというものではないでしょうか。


 まぁ、どうでもいい、というか、私個人としては、大日本帝国なんて国に生き残られてしまってはたぶん困っただろうし、大日本帝国よりはまだアメリカのアメリカンなライフ・スタイルの方が性にはあっているので、痛し痒しというか、微妙な立場ではあるんですけどね ( 当然西暦の使用にも反対なんかしてませんし w ) 。


 ところで、話は変わって < 実話系ホラー漫画 > の業界で 《 最凶 》 とも言われているものに稲川淳ニさんの持ちネタで永久保貴一さんの作画による 『 生き人形 』 というものがあります。


 長いことその怨霊にも比すべき力を持つかのごときこの生き人形の霊は如何なる霊能者でさえも鎮める事はできないものと思われていたのですが、それがここ数年ばかりの間にひょんなことから一人の気功師さんと複数の霊能者さんが関わりを持つことによって最終的な解決をみることとなったようで、その経緯を漫画化したものが 『 続・生き人形 』 として知られています。

Zokuikiningyou 永久保貴一・稲川淳ニ 『 総集編 続・生人形 』
( 『 実際にあった怖い話 』 3 月号増刊 / 平成 21 年 / 大都社 )


 ある時、新しい 《 実話恐怖漫画雑誌 》 を立ち上げるのに際して永久保さんに 『 生き人形 』 の続編執筆の依頼があったということでそれを受けた永久保さんが 『 生き人形 』 を執筆することになって、その作品は 『 ミタナ 』 ( 私は未見ですが ) という実話恐怖漫画雑誌で連載が開始されたのですが、掲載誌であった 『 ミタナ 』 そのものが 《 生き人形 》 の霊にパワー負けしたのかどうか休刊となってしまって第 3 回まで連載したところでその連載は一端頓挫してしまいました。


 その後、掲載誌を 『 黒い恐怖 』 に変えて連載を再開するも、こちらはたったの一回で発売ストップ・・・。


 その過程で、 『 続・生人形 』 の執筆者である永久保さんが、ご自身とご自身の家族の安全のための諸々の対処をひょんなことから知り合いとなって家族ともども友だち付き合いをしていた正体不明 ( ? ) の謎の最強気功師 H 師匠こと 《 ほしの 》 さんに依頼することになって、その流れで H 師匠を中心としつつ、このブログでも何度か触れた < 実話系ホラー漫画 > 業界最強の某霊能者さんと、私はその時初めて知る事となった別な某霊能者さんたちがそれぞれのスタイルでそれぞれに生き人形の解体と供養に取り組むこととなり、最終的には 《 最凶 》 とも言われていた生き人形の物語は終焉を迎えることとなったわけです。


 そして、その物語は最終的な舞台を 『 実際にあった怖い話 』 に移して私たち一般の読者のもとへと届けられることになりました。


 上の 『 総集編 』 はこの生き人形の物語の出発点となったオリジナルの 『 生き人形 』 を再録するとともに、 『 ミタナ 』 、 『 黒い恐怖 』 、 『 実際にあった怖い話 』 と三つの < 実話系ホラー漫画雑誌 > に不連続連載されることとなった 『 続・生き人形 』 が纏められているのですが、残念な事にこの総集編にも収録されなかったエピソードがエピローグとして一本執筆されています。

 下の場面はそのエピローグ漫画の中の一節です。

Zokuikiningyou_2
Zokuikiningyou_1 『 永久保家の怪奇現象 検証・稲川怪談 続・生き人形 』
( 『 実際にあった怖い話 』 平成 21 年 3 月号 ) より


 結局のところ < 生き人形 > というものは第二次世界大戦においてニ正面作戦を挙行した米帝国軍の日本の民間人に対する無差別大量爆撃を中心とした < 戦災 > がその根源であったということで、生き人形の処理にあたった三人の能力者の方々も生き人形の処理のためにそれぞれに両国の慰霊堂を訪れることとなったわけなのですが、上の場面は漫画の執筆者である永久保さんと最強気功師 H 師匠とが二人して両国の慰霊堂を訪れて生き人形の最終処理を終えた後のとんかつ屋での会食のシーンになります。


 これまで四半世紀にもわたって日本中のホラー・ファンを恐怖のどん底に叩き込んできた最凶のホラーとも言うべき生き人形も、その元を辿れば <東京大空襲 > を代表とした米帝国軍による日本の民間人に対する非人道的な無差別爆撃による大量虐殺に由来するものであったとも言えるわけで、その意味からすると今日のこの日は < 生き人形の記念日 > と言うことも出来るのかもしれませんね。