今年は西暦 2010 年 ( 平成 22 年 ) で干支でいえば 《 庚寅 》 、 つまり 12 年ぶりの 《 寅の年 》 。
という事は 12 年に一度しか行われない希少な行事が行われる年という事で、たぶん様々なものが 12 年ぶりに行われているのであろ う中で奈良県生駒郡平群町の信貴山・朝護孫子寺においては 12 年に一度 < 寅年の寅月 > に行われるという真言密教の儀式 < 毘沙門潅頂 ( びしゃもん・かんぢょう ) > が 2 月 19 日から 2 月 28 日 ( 各日とも 06:00- 、 10:00- 、 14:00- と日に三回 ) 開壇さ れています ( 朝 06:00 - からの回に入壇する場合は一泊二食 5,000- 円で参篭という名目の前泊が可能だそうです ) 。
入壇料は 2 万円で、入壇に際しては 〔 1 〕 半袈裟 ( 輪袈裟 ) 、 〔 2 〕 白衣 ( 毘沙門潅頂用が原則だけど、四国や西国な どの遍路さん用のオイズルでも O K とのこと) 、 〔 3 〕 数珠 ( 真言宗のものが望ましいが、なければ他のものでも O K とのこと ) の三点セットを用意する必要がありますが、潅頂を申し込む際に希望すれば白衣 2,000- 円、数珠 4,000- 円、輪袈裟 3,000- 円で同寺か ら調達することも出来るとのことです。
この儀式は四天王中の一尊でもあり、かつまた信貴山・朝護孫子寺の本尊でもある < 毘沙門天王とご縁を結び深める真言密教の儀式 > で < 毘沙門天王信仰における最高の法儀 > なのであって、 < 奥秘仏本尊さまがご開帳された本堂内で、毘沙門曼荼羅に投華し、毘 沙門天の秘印と真言が伝授 > され、<毘沙門天王の福徳と智慧の功徳が授かる>という事で、世俗的には入壇記念品として < 毘沙門天 王の印と真言が書かれた印信、記念のお守り、輪袈裟着用の許可証、記念バッジなどが授与 > されるらしいです ( < > 内は千手院さ んの灌頂カント・ダウン用のブログより ) 。
この儀式には僧俗問わずに誰でも希望すれば入壇が許され、去年からカウント・ダウン用のブログなども開設されていて私もそれをチ ェックしながら入壇の機会を狙っていたのではありましたが、残念ながら今回も灌頂入壇はならなかったようです ( まぁ、あと二日残っ てはいますが・・・、無理です ) 。
毘沙門天 ( ヴァイシュラヴァナ ) は四天王という護法ユニットの一尊が天部尊としてソロ活動する際のお名前で、代表的なソロ・ ワークが 『 佛説毘沙門天王功徳経 ( 購入は → こちら 』 というお経として知られていて、その中で毘沙門天さんご自身のことについても詳しく説かれています ( なお、毘沙門天 さんは四天王のほかにも十二天や七福神などというユニットでの活動を通しても知られている多彩な顔を持った天部尊さんです ) 。
『 佛説毘沙門天王功徳経 訓点 』 によれば、毘沙門天さんは 「 金の甲冑を身につけ、左手に宝塔を捧げて、右手に如 意宝珠を取って捧げ、左右の足下には羅刹に毘闍舎鬼 ( ビシャーチャ ) を踏む 」 ( 取意 ) という姿を顕されるということで、左手に宝塔を捧 げているのは 《 普集功徳微妙 》 といってそれは俗に 8 万 4 千と言われる仏の教えを収めた経蔵 12 部経の文義を備えていてそれを見 た者が無量の智慧を得る事を象徴し、右手に持っている如意宝珠は 《 チンタ・マニ 》 と言って豪華なディナーにブランドもののスーツ やドレスなどをはじめとした無量の財宝を得る事の象徴、また金の甲冑を身につけているというのは 《 四魔 》 の悪魔軍団をやっつける ためで、両足の下に踏みつけている魔にはそれぞれ藍婆 ( ランバ ) と毘藍婆 ( ビランバ - 毘の字は田辺に旁が比 - ) という名前が あって、これらは悪業・煩悩を降伏した事を象徴しているのだそうです ( 持物は左右逆になったり、如意宝珠が宝棒になったりすること もあってここで述べたものは 『 佛説毘沙門天王功徳経 』 の所説です ) 。
さらに、左手には吉祥天という美人の女神さまを奥様として侍らせ、右手には禅尼子童子という跡取り息子を従えているという事で、頭 は良いわ、美味いものはたらふく食ってブランドもののスーツに身を包み、綺麗な奥様と跡取りにも恵まれてるわで文句なしのこの毘沙門 天様のそのお姿を目にし、その名を耳にし、心に念じただけでもその者は 8 万億カルパにわたって積み重ねてきたどんな些細な罪をも取り 除かれた上に、百千億の功徳を獲得して仏陀の境地に到達することができる、という事まで説かれています。
このような毘沙門天さんに仕える者は
- 無盡の福を得る
- 衆人愛敬の福を得る
- 智慧の福を得る
- 長命の福を得る
- 眷属衆多の福を得る
- 勝軍の福を得る
- 田畑能成の福を得る
- 蠶養如意の福を得る
- 善識の福を得る
- 佛果大菩提の福を得る
という 10 種類の尽きることのない福を得る事ができるという事で、 ( 8 ) は養蚕が上手くいくようにという事で現代ではほとん ど意味がないような気もしますが、それ以外の項目に関しては現代でもそのまま通用するようなものばかりで、まことにありがたい限りで はあります。
毎月元三日に身を清めて新しい服に着替えて東北の方位に向かって毘沙門天の名号を称念すれば大福徳を得る事は疑いがないとお釈迦 様がおっしゃっているそうで、その称えるべき名号とは下記の真言になります。
私たちの住むこの世界から果てしなく北の方に進んでいくとそこには 《 普光 》 という毘沙門天さんのお城があって、そのお城は別 名で 《 ベイシラマヤ・キャッスル 》 とも呼ばれているのだそうでありますが 、そのお城には使いきれないほどの福 ( 富、財宝 ) があって、 ( それがあまりにもありすぎて邪魔なので ) 一日に三度もその福を焼却処分しているというのですね。
そこで、そのお城の主人である毘沙門天さんは、 「 五戒を守って三宝に帰依している人が、もしも次に述べる五種のためということ であるならば、この使いきれない福を分けてあげることにしよう 」 と思い立ったという事なのですよ。
まず第一の 《 五戒を守って三宝に帰依している人 》 というのは ( 厳密には円戒居士以上ということにはなりますが、ごくごく大 雑把に言うと ) 僧俗を問わずに仏教徒である事、という意味です。
第二の 《 五種のため 》 というのは福を得たいというその願いの動機という事で、具体的には次の五つの動機 ( の内のいずれか ) が必要という事になっています。
- 父母孝養の為
- 功徳善根の為
- 国土豊饒の為
- 一切衆生の為
- 無上菩提の為
この五種類の動機というのは煎じ詰めれば 《 私利私欲 》 のためではないという事になるのでしょうか。
いずれにしろ、三宝に帰依して五戒を守った上で上記の五種類の正しい動機に基づいて願うならば、 《 一切毘沙門の福 》 を得られる というのですが、その方法としては方位と名号の念誦を用いるようで、具体的には次のように説かれています。
- 福徳を得んと欲する者は、
丑寅 ( 東北 ) の方に向かって名号を一百八遍称すれば、大福徳を得べし。 - 智慧を得んと欲する者は、
東方に向かって名号を一百八遍称すれば、大智慧を得べし。 - 官位を得んと欲する者は、
辰巳 ( 東南 ) の方に向かって名号を一百八遍称すれば、官位を得べし。 - よき妻子を得んと欲する者は、
南方に向かって名号を一百八遍称すれば、良き妻子を得べし。 - 長命を得んと欲する者は、
未申 ( 西南 ) の方に向かって名号を一百八遍称すれば、長命を得べし。 - 眷族衆多を得んと欲する者は、
西方に向かって名号を一百八遍称すれば、眷族衆多を得べし。 - 愛敬 ( あいきょう ) を得んと欲する者は、
戌亥 ( 西北 ) の方に向かって名号を一百八遍称すれば、衆人愛敬を得べし。 - 悉地を得んと欲する者は、
北方に向かって名号を一百八遍称すれば、悉く成就する。
なんともありがたい限りの話ではあるのですが世の中そう上手くはいかず、世にいう 《 験 ( げん - 成果 - ) 》 というものがなかなか得られないという話を耳にする事もあるのですが、、世にいう 《 験 》 が得られないというのはこの 《 五戒を守って三宝に帰依する 》 という前提条件からして守られていないからなのでしょう。
《 五戒を守って三宝に帰依する 》 というのも 《 五戒を守る 》 という部分と 《 三宝に帰依する 》 という二つの部分があって、それぞ れに意味があるのですが、それらを理解した上でそれを守るというのもなかなかに大変なことなのではあります。
往古の賢人が 「 隠すは上人、せぬが仏 」 という名言を残しているにも関わらず、現代では自らを僧侶と名乗り僧形を周囲に示しな がらも酒色に溺れ、なおそれを隠すことも知らずに堂々とブログなどというものでその破戒ぶりという自らの不名誉を自らの手で不特定多数の者に宣伝して恥じることを知らないような奇態な輩が跋扈しているようであります。
まぁ、それはともかく、四天王も四天王中の多聞天さんのソロ・ワークである毘沙門天さんも日本とチベットの両国において伝承され 信仰されてもいるのですが、 china を通して日本などに伝わった多聞天こと毘沙門天さんが上に述べたように < 宝塔を持つ > スタイル で知られているのに対して、チベットの伝承における毘沙門天 ( 多聞天 ) さんはその < 宝塔 > をユニット・四天王の同僚である広目天さんに預けてしまって、自身は珍宝を吐き出す < マングース > を抱く姿を顕しているので注意が必要になります ( 必然的に、日本の広目天さんは経巻と筆を持つスタイルであるのに対して、チベットの広目天さんは経巻と筆ではなくて宝塔を持つスタイルになります ) 。
ある意味でチベットの毘沙門天さんのスタイルは、仏法守護の任務は同僚に任せた上で、自身は珍宝を吐き出す珍獣を抱きかかえて貧困に苦しむ衆生に福を授ける任務に専念しようという心意気の表れ、とでも解釈すればよいのでしょうか。
そこでここではそんな毘沙門天さんに対するチベット語の賛歌 ( 礼讃偈 ) を少し紹介しておくことにしましょう。
フーム 無畏なる獅子の座の上に 〔 おわせる 〕
ベイより生 じた救世者 ( くぜしゃ ) たる者よ
疲弊を癒した善にして大いなる力を持つ者よ
八地に 自在なるあなたに対して敬礼 ( きょうらい ) せん
この偈の第二足にある “ ベイ ( ヴァイ : ) ” というのは言わずと知られた毘沙門天さんの種子であり、第三足の “ 疲弊を癒した ” というの は毘沙門天さんの別名です。チベット語では毘沙門天さんのことを 《 ナム・トゥ・セー (
) 》 と言うのですが、その別名として 《 ケ゜ル・スーポ (
) 》 というものも知られているらしいです。また、冒頭のフームのチベット文字に月牙を欠いているのは、ここで利用させていただいているフリーのチベット文字表示システムが対応していない為です ( まぁ、フリーなので文句は言えませんし、月牙なしの形でも通用されてはいますが ) 。
私は個人的にどうも毘沙門天さんとはご縁が薄いような のですが ( だから信貴山の灌頂も受けられないのでしょう ) 、今年は寅年の毘沙 門イヤーという事で少し毘沙門天さんに注目してみようかとも思う今日この頃なのでありました。