本邦の建国を記念する日を含むこの三連休、様々な方面からパワースポットの誉れも高い上野の近辺を散策に訪れたところ、2024年2月10日がいわゆる春節だったらしく、その前後の期間を併せた2月9日から2月12日の日程で、『ウエノデ・パンダ春節祭』なるイベントが、上野公園噴水前広場を会場として開催されていました。


イベント会場入り口

 そして、派手な音楽が鳴り響く中、イベント会場入り口のゲートをくぐると、そのすぐ左手に偉大な同志・習近平皇帝陛下が率いる中華人民共和国の観光案内所のブースのようなものがありました。

観光案内所のようなブース

 そこで、ふと、怪しげな波動を感じて立ち止まり、ブースの中を何気なく覗いてみると・・・、そこにはなんと、上海をはじめとした china 各地の観光名所のガイド・ブックとともに、こんなものまでもが山積みされていたのであります。

中国チベット観光ガイド』

 ・・・、おいw
 「チベットは中国固有の領土ある!」ってかw
 まぁ、これも彼ら自身が選択した結果ではあるものの、悲しい現実という奴なのではありましょう、བོད༌ལ༌རེ༌བ༌མེད།
 しかしながら、これは決して対岸の火事などはありません。

 春節に先立つ事ひと月と少し前の令和六年(西暦2024年)の元旦、宮中は神嘉殿の南庭に降り立った近上天皇陛下は、年始を祝う歳旦祭に先立って年災消滅と五穀豊穣を祈って天地四方の神祇を拝される四方拝をなされたのですが、そのわずか数時間後の同日午後4時10分頃、石川県能登地方を震源として最大震度7の能登半島地震が発生したのであります。
 震災の被害はいまだに続き、軽々な言及は慎むべきところのものではありますが、これは、ある“兆し”を天が示されたものでもありましょう。

 ところで、ネット上での活動に限定はされるものの、一部でかなり高く評価されている異能力者の一人にコズミック・シャーマンさんという方がおられるのはご存じでしょうか?。

 その方によれば、この元日に発生した大地震から翌 2 日の羽田空港における日航機と海上保安庁機との衝突炎上事故、…からの、さらに翌 3 日に発生した北九州小倉地区での大規模火災という一連の流れは、「日本を守護する最大の霊的勢力である神道(=天皇)がその力を失ったというサイン」なのだという事であって(出典はこちら⇒外部リンク)、その事態をコズミック・シャーマンさんは“サポート期限切れ”という表現で把握したうえで憂慮を表明されています。
 その説の詳細については外部リンクを参照していただければと思いますが、そう…、確かにこれは一つの重要なサイン、即ち “兆し” なのであります。

 ある事情から強制された伝説のプラザ合意に端を発した昭和の末尾を飾るバブル景気と、そのバブルの崩壊に端を発する失われた三十年からの総中流社会の喪失という無限連鎖のレジェンドに、多くの日本国民が今もなお呻吟し続ける中、日本を守護する霊的力がその効力を失い、逆賊の謀略によって皇統の継承までもが危機に瀕している現今の社会情勢に鑑みるならば、そこにはもはや絶望と諦念以外の何物をも見出す術はない、と知るべきところが本来でもありましょう。

 そう、ハゲタカに食い荒らされ、依然として豊かではあるはずであるにも関わらず、ふらふらと足元も覚束なく、すでに霊的なサポート期限さえもが切れてしまったとも言われるこの国において、私たちはいったい何を賭けて、何と闘っていけば良いのでしょうか?

 遠くない将来には、偉大なる同志・習近平皇帝陛下が率いる中華人民共和国赤軍の精鋭が、尖閣諸島を足掛かりとして本邦を、彼の国固有の領土として回復簒奪するために進出、否、侵略して来る事は必定なのであります。それは、彼らにとっての核心的利益なのですから。

 本邦において、漢王朝から下された【漢委奴国王印】、所謂【金印】が、その真偽・真贋の如何は別として、出土してしまっているという事は、学校の歴史の授業で必ず習うところではありますが、その【金印】が下されている以上、日本は彼ら漢王朝固有の領土という事にもなってしまう訳であります(漢王朝と習王朝との正統性の継承に関しては議論する必要があるかもしれませんが)。

 もちろん、【金印】が下されたその後には、偉大なる英傑、聖徳太子が【日出処天子の書】を発して本邦の独立を宣言し、霊的国防を万全とせしめたところではあるものの、謀略を本義とする彼ら漢民族のハニトラに下半身をビラビラにされて魂を売り渡した国賊どもが、聖徳太子の存在を否定するのに躍起になっているのは皆様もご存じの所であるかと思います。

 それは、それだけ聖徳太子が本邦に施した霊的国防の結界が万全であった、という事の証左なわけではあり、彼ら漢民族が日本を真に蹂躙するためには、この聖徳太子が日本に施した霊的国防の結界をまずは破壊しなければならず、その為にこそ、彼らの走狗と化したクソ虫どもが、聖徳太子の存在をなんとしても葬り去ろうとしている訳なのでありますが、さすがにこの暴論は、幸いなことに、まだまかり通るまでには至ってはいません。

 ではあるものの、十年、百年という単位で執念深く謀略の限りを尽くす事を得意とする彼らを相手に、いつまで日本国民の良識が持ちこたえられるかは心もとないところでもありましょう。

 しかし、…、しかし、であります。末法とも言うべきこのご時世においてさえ、私たちは、なんら恐れる事はありません。

 なぜならば、私たちには《 第三の眼を持つ男 》 とも言われ、あるいは、それ故に《 えすぎる男 》 とも、時に呼ばれるあの男、《 エスパー・小林 》 がいるからであります。

 奇しくも、今年 2024 年の春節となった2月10日の前日、2 月9日は、“真実を告げる世界で唯一の月刊メディア” とも呼ばれる伝説のオカルト雑誌『月刊ムー』の2024年3月号の発売日でもありました。


月刊『ムー』2024年3月号


 そして、そこにあの《 えすぎる男 》 、エスパー・小林が監修した『知らずにかけられた「呪い」の解き方』という記事が、《実用スペシャル》として掲載されています。

 地図からパワースポットを探し出し、逆境に呻吟する者にはラッキー・カラーとラッキー・アイテムを告げ、あらゆる不可能を可能ならしめるとも言われる男、それがエスパー・小林と呼ばれる霊能者であります。

 そんな彼が今回の「実用スペシャル」で紹介するテクニックが “知らずにかけられた「呪い」の解き方” な訳です。

 今回の実用スペシャルでは、この手の記事でよく見かける “このお札を飾れば宝くじに当選する” だの “こうすれば金運アップ” だのというお呪いや “キャンドルを焚いたりアロマ・オイルで彼氏や彼女をゲット” などという安直な術には一切触れられていません。

 それは、“このお札で金運アップ” だの “キャンドルを焚いて彼氏・彼女をゲット” だのというお呪いは、そもそもの考え方が根本から間違っている、からなのでありましょう。

 いわゆる伝統的な術数の世界では “避凶趨吉” という言葉が語られる事があります。“避凶”とはその文字通りに「凶を避ける 」という事であり、“趨吉”とは「吉におもむく」という意味になります。

 そして、伝統的な術数を学んでいる師であればあるほどに、金運アップや恋愛運アップのお呪い、即ち “趨吉” のその前に、まずは “避凶” すべき事の重要性を説いています。つまり、まずは何が何でも「ヘタを打つな」という事であります。

 四字熟語的な言葉としては “趨吉避凶” という形で言及している方においてさえも、まずは “避凶” すべきであって、 “避凶” があってこその “趨吉” である、という点の指摘・強調がなされているというのは、その方が真正な師であればあるほどに見られる特徴でもありましょう。

 そして、この “避凶” の、現代的にして具体的な内容の数々が、今回の実用スペシャルで紹介されている『知らずにかけられた「呪い」の解き方』という記事、という事になるのであります。

 “知らずにかけられた「呪い」” を、どう解呪するか、という事は、まさに “如何にして避凶するか” という事なのであって、これこそが、まさに開運の礎、土台とも言うべきところでありましょう。

 “知らずにかけられた「呪い」” を解呪し “凶” を避け、しかる後に “趨吉” するならば、暗愚なる庶民がその暗き寝床から這い出してくる前の清涼な空気が漂う都会のペーブメントの上を深紅のカウンタックで疾走し、いずれかのヒルズの高層階の一室で、高貴なカプチーノの香り漂う中、ドンペリニヨンをトリクルダウンさせて(私は下戸ですがw)、最高の女とベッドで戯れる悦楽の日々が我らを待つは必定、理の当然。


松田優作主演 蘇える金狼のテーマ/🎤前野曜子

ちなみに、松田優作が主演した映画版『蘇える金狼』は、原作の解釈を根本的な部分で致命的に誤ってしまっている為、現今流行りの言葉で言えば “原作レイプ” ギリギリの作品なのではありますが、そこは【松田優作】の顔に免じて、あえて不問に付しておきますw


 “知らずにかけられた「呪い」” を解呪し “凶” を避けなば、思う存分に、吉方に馳せ参じては水を取り鯨飲し、砂を採っては庭に撒かん。夏に苺を求め、真冬にスイカを購入し、方位を測って大地に杭を打ち玉を埋めん。吉時を計り香を焚き花を買っては吉方に飾るべし。 己がラッキー・カラーにその身を包み、ラッキー・アイテムを携帯し、以て運気改善、開運の道へと邁進せん。

 時は今、バブルはじける令和かな。第二、第三の義士が現れ、再び三度みたびと会心の鉄槌を振るうその前に、知らずにかけられた「呪い」” を解呪し、永遠とわの安楽という吉へとおもむかん。呵呵。