今回は、篠沢秀夫氏(学習院大学名誉教授)が雑誌でのインタビュー記事の中で特攻隊について語っておられて、それがとても良かったので引用します。

【引用開始】
嘆かわしいことに、進駐軍が敗戦した敵国を戦時宣伝そのまま見たのと同様な眼で、戦前戦中の日本を断罪する日本人がいるのですね。私は「進駐軍の手先の弟子」と呼んでいますが、例えば彼らは特攻隊の悲劇を「平和教育」の材料にして、ファナティック(狂信的)な愚行扱いする。隊員たちの心の真実に迫ることをまったくせずに。

私は特攻隊の行為は愛である、と思います。恩師のモーリス・パンゲ先生は、「自死の日本史」という本に特攻隊について書いておられます。世界の歴史の中で、決死隊というのは色々あった。しかし、特攻隊の場合は、死を覚悟してから自死を決行するまでの期間が長い。そのための訓練を受けている。時には何ヶ月も。だから、一時の感情に駆られてとか、狂信的というようなことではない。自分で納得しなければ出来ない行為なのだと、パンゲ先生は書いておられる。

私は、霞ヶ浦の特攻隊の記念館に行ったことがありますが、そこに展示されている写真の中の出撃前の青年たちの目は、なんと澄んでることでしょう。彼らは日本のアイデンティティを確かめるために、死ぬことを受け入れた。多くの特攻隊員は、戦争は負けるだろうということを現地で感じている。それでも敵艦に突っ込んでいく。何のためか。そのことによって、日本というものはこうだったんだよ、ということが後世に確認される。それは戦争に負けようとも、やがて引き継がれていくだろう。つまり、彼らは自分の家族のためだけでなく、見たこともない我々、残された子孫のために、つまり「見えない愛」のために死んでいったのです。今も我々は彼らの愛の中に生きているのです。
【引用終わり】

小泉首相は靖国参拝について、「こころならずも亡くなられた英霊の方々」にお参り行くんだと、よく言われます。

この「こころならずも」という言葉は、辞書(大辞林)で調べると、「自分の本意ではないが、やむをえず」と記してあります。

確かに、自分の本意に反して戦地へ行かれて亡くなられた方もおられるでしょう。しかし、多くの方は、篠沢先生がおっしゃられてるように後世を生きる我々、残された子孫の為に戦いに行かれたのです。

小泉首相が「こころならずも」と言われるのは、この英霊の方々の真意を理解しておられないからではないでしょうか。

小泉首相には、是非とも英霊の方々の崇高な思いを理解して頂き、その上で8月15日に靖国神社へ参拝して欲しかったです。今年は戦後60年の節目の年でもあるので、8月15日の参拝見送りの決定は残念です。

平成17年(2005)8月14日