こんにちは。天気がいいのでまた更新しようと思います。
影が勿体ないことになっていますが、実際に見ると白と青のコントラストが本当に綺麗です。
…といっても最近書いたものではなく、10月頭に書いて投稿ボタンをポチり忘れていた記事を今更発見したので投稿します。
ではでは、ここからは10月のワタクシのごちゃごちゃ考えたものです。「最近」って言うて最近じゃない!!けど直すのも手間だったのでお許しください!ではっ!(2021.02)
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またルームメイトと口論になって精神がつかれています。こんばんは。
この記事の続編ではないですが、色々と思うことがあったので一つ。
タイトル通り、「遠慮」について少し自分なりに考えていきたいと思います。
この記事を書こうと思った事の発端は、中国人のルームメイトのAと、アボカドの食べ方について口論になったからです。ちなみに彼女とは最近、細かいものを含めると週5ペースで口論しています。
ザ・ごく普通の日本人の私の家では、アボカドは必ず初めに種を取って皮を剥いて、ナイフでいい感じの大きさにカットして食べます。時々サーモンと一緒にサンドイッチにしたりします。おいしい。
ところが、中国人のAはアボカドを素手でグシャッ!と割り、そのままもしゃもしゃ齧り付いて食べます。割った時の衝撃でちょくちょくアボカドの破片が床に散らばるし、食べる音がクチャクチャしていて自分的に受け入れがたかったため、初めは軽く「Don't you cut avocado? (アボカド切らんの~?)」と聞いたところ、「いやこのままいくでしょ」と返され。
私「いやでも食べるときに破片散るしあまり美しくなくない?わからん、うちではいつも切って食べてたから違和感なだけかもだけど」
A「汚したら片付けるからいいじゃん!You know, I'm a good person always clean my mess」
※意訳に自信がないので英語原文をつけました
私「いやいや、汚す前提なの?!」
・・・みたいな話から、日本人は食べるときのルールに厳しい、という話になり、
そのルールがどこから来ているのか?という話になり、
A「日本人というかあんたって気を遣いすぎでは?何か距離感じて嫌やねん!」
私「いや僕からしたらあなたの一挙手一投足が無作法に思える!」
はい、ヒートアップ。
他のルームメイトが戻ってきたところで議論(口論)は強制終了したので結局結論は出なかったのですが、一人になってから色々思案した結果、自分の中で「僕が遠慮しすぎている&相手にも遠慮することを押し付けているのでは?」と考えました。
ちょとまてちょとまて、遠慮って正しくはどんな意味だっけ。僕の解釈では確か相手に対して気を遣って自分の欲を抑えること、だった気がするが…
えん‐りょ〔ヱン‐〕【遠慮】
[名](スル)《3が原義》
1 人に対して、言葉や行動を慎み控えること。「遠慮なくいただきます」「年長者への遠慮がある」「この部屋ではタバコは遠慮してください」
2 辞退すること。また、ある場所から引き下がること。「せっかくですが出席を遠慮します」「君は遠慮してくれ」
3 遠い将来のことを思慮に入れて、考えをめぐらすこと。遠謀。「深謀遠慮」
4 江戸時代、武士や僧に科した刑罰の一。軽い謹慎刑で、自宅での籠居(ろうきょ)を命じたもの。夜間のひそかな外出は黙認された。
(参照:Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E9%81%A0%E6%85%AE)
はい。だそうです。
というわけで1(と2)の意味について考えていきます。ノルウェーまで来て江戸時代の武士の謹慎刑の話したってしょうがないですからね。
個人的に、日本文化は遠慮の文化だと思っています。
例えば。
電車に乗っていて席が空いた!疲れた!座りたい!
けれど杖をついて歩いているおばあさんが乗ってきた!
(席、譲らなくちゃなあ…)
ほら。別に「誰か困っている人を見つけたら自分がたとえどんなに苦しくても席は譲りましょう」なんてだーれも言っていないのに、何となく席を譲らないと、みたいな圧、ありません?
(ほら遠慮して席譲っとけよ)みたいな視線、感じません?
もう一個例を。
あ~~~ポケモンパン欲しい!あ、ちょうど一個残ってる!ラッキー!
…あ、目の前で小さい男の子がこちらをずっと見ている…こちらというより私の手の中のポケモンパンを見ている…あ、お父さんらしき人と目が合った…
(しょうがない、諦めて他のスーパーを探しに行こう…)
僕が小学生の時のほぼ実話です。ポケモンパンではないけれど何かお菓子系を買おうとしたらまさにこんな状況に…。
でも、この話には続きがあり、僕が「あ、よかったらどうぞ。僕他のスーパーで買うんで」といってパンを男の子に渡したら(最後の一言本当に余計だった…)、男の子は笑ってくれましたが、お父さんが申し訳なさそうに「いいよいいよ、君の方が早かったんだから」といって男の子からパンを取り上げて返してくれました。男の子大号泣。お父さんはそのまま彼を抱き上げて颯爽と去って行かれました…。あの時の罪悪感ったらない。
お互いが遠慮し合ってしまった場合がこのケースです。お互い多少の我慢をしあって妥協できるラインを見つけていこう、みたいな。
確かに沢山自分が我慢しなければならないけれど、相手も沢山我慢をしているからお互い穏やかに過ごすことが出来る、それが僕にとって「当然」で、自分が遠慮することと相手に遠慮してもらうことは当たり前でした。
少し前までは。
中国人のAとルームメイトになるまでは。
彼女はとにかく自分の意見を前面に押し出し、気に入らないことはとにかく何でも言います。僕が大事に大事にして生きてきた遠慮のかけらもありません。
窓を開けたくなったら開けるし、喋りたいときは喋る。シャワーを浴びたくなったら何時間でも浴びる。
一応何かをする前に「~してもいい?」と聞いてくれるものの、「~してもいい?するよ?いいよね別に、あなた今寝てないもんね?」みたいな感じの圧力を顔と語調に乗せてくるので大変ノーとは言いづらく、渋々無言で頷いていました。
初めはしばらく我慢すればいいや、と思っていたのですが、我慢の限界に達してしまった瞬間があります。
私が部屋で他のルームメイトと簡単な会話(今日の夕飯のメニュー何だっけ?みたいな)をしていたときに、寝ていた彼女が「Quiet!!!」と言ってきたのです。
いやいやいやいや、あなたはいつも大声で中国語で見えない誰かに話しかけてるでしょ!僕が寝てる時も!!!!
そこで僕のストレスは限界に達してしまいました。
彼女曰く「If you want to get a right, you must speak up」だそうです。
僕は少し前までこの理論には猛反対していて、
酷いですが、彼女がもし日本人だったら自己中だって嫌われて友達出来なさそう、と思ったこともあります。
だけど別に彼女、間違ったことは一つも言っていないんですよね。
確かに、自分が嫌なことを自分の中に溜め込んで我慢する必要なんて考えてみたら1ミリもないのです。そして相手に我慢を強要する必要も。
(個人レベルでの話です。国家やらが関わってくると話が変わってきます)
僕は無意識に、自分は○○を遠慮しているのだから、あなたも遠慮するべきでしょ?と相手に何かを諦める/手放すことを押し付けていたのだと、最近やっと気付きました。
この「遠慮」文化は、自分と相手がお互いに「遠慮」し合って初めて成立します。
自分だけが「遠慮」しているのでは、それは最早「遠慮」ではなくただの「我慢」です。相手が自分のことを気遣って「遠慮」してくれないと、別の言い方をすると相手にも「遠慮」を求めないと、この文化は成りたちません。
慣れると呼吸並みに自然なことのように思えますが、Aからしたら圧倒的に非効率的でよく分からない文化なのだとか。
確かに。なんで日本人はお互いに我慢し合って生きているんでしょうね。
僕はこれから「遠慮」ではなく「配慮」が出来る人間になりたいです。
でもアボカドは綺麗に切って食べようと思います。
