出産 | れいちぇるの韓国→日本日記

れいちぇるの韓国→日本日記

日韓ハーフの子供たちを連れ、韓国から日本の田舎に移住しました。日本での生活のこと、子供の臼蓋形成不全のことなど書いています。

布団に入ったのが12時過ぎだっただろうか。胎動がいつになく激しくなかなか眠れない。
今日は予定日、そして健診の日。誘発分娩のスケジュールを決めることになっている。
うとうとしていると、突然生暖かい水が出る感触が。
トイレに駆け込むと羊水がいっぱいでてきた。破水だ。

破水したら病院に、と言われていたので旦那を起こす。
とりあえず病院に電話してみるとやはりすぐ来るようにとのこと。
陣痛はまだだったが、ついに産まれるんだとちょっとどきどき。

病院に着くと即入院と言われる。陣痛がまだなので促進剤を使うかは先生が出勤してから決めるとのこと。
胎動検査をしながら陣痛を待つ。。
日本の家族にひとまずメール。陣痛が強くなる前に少し寝ることに。

と、何時頃だっただろう。7時か8時位に促進剤の点滴を受けることに。
羊水がいっぱい出てしまったからだろうか。

8時半位に先生がきて、とりあえずお昼まで様子をみるとのこと。
やっぱり赤ちゃんが全然下りて来ていないとか。

日本の場合、こういう時は病院内の階段を上ったりスクワットをすることもあるようだが、
私が出産した病院ではずっと胎動検査の機械がお腹についていて寝たきり。
トイレに行く時以外は寝てるように言われた。

ところで、病院に着いた時に隣のベッドにいた妊娠さんはいつから入院してるのか分からないが、
6時過ぎに三回ほどいきんで分娩台に。
それからすぐに赤ちゃんが産まれた。
だいたいお産の手順が分かった。

促進剤が効いてきてだんだん強くなる陣痛。
分娩待機室から家族分娩室に移動。
このころで子宮口がまだ5センチくらいしか開いていないと言われる。
この病院は立ち会い分娩ができる部屋が2つあり、空いていれば利用可能。
価格は10万ウォンなり。

強まってくる陣痛。
両親教室で呼吸法を練習したものの、リードしてくれる人がいないのでひたすら息を吐く。
日本では助産師さんがいきみ逃しをリードしてくれたりするようだが、
私が出産した病院は陣痛で苦しんでいてもほぼ放置。
妊婦さんはみんな声をあげて痛みを堪えているが
日本もこうなのだろうか…それとも声を出さずに堪えるのが日本人だろうか。

それはともかく、「お昼位が辛いかも。いきみ逃しがしんどかった」と妹からメール。
10時位には痛みが強くなりかなりきつい。
トイレに行くと言って検査の機械を外してもらい暫くベッドに座って耐える。
旦那には陣痛がくる度におしりの辺りを押してもらう。これで少し痛みが和らいだ気が。

ちなみに家族分娩室では好きな音楽をかけてもいいと言われていたので
ソンモ君の曲を数曲準備するも、音楽どころではなかった(-_-;)

この痛みがひたすら続くのかと思っていたころ、
看護士さんからそろそろいきんでみようといわれる。
陣痛の痛みに合わせていきむ。
それと同時に看護士さんは赤ちゃんが出てくるところを手で広げている様子。

これがしばらく続きいよいよ分娩の準備。
11時50分位に先生が。
「次の陣痛で産もう。今までの2倍いきんで。一回で産みましょう」と、先生。
私も正直なところ早く痛みから解放されたかった…
陣痛がきてこれでもかというくらいいきむ。
一回だっから二回だったかはよく覚えていないが、
なかなか下りてきてくれなかった赤ちゃんは、わりとすぐに産まれた。

もう力を入れなくていいと言われ数秒後、12時12分に赤ちゃんが無事に産まれた~

感動で泣くかも、と思っていたけど痛みからの解放とやっと産まれたという安心感。
一緒に頑張ってくれた赤ちゃんの顔をみたらただただほっとした。

赤ちゃんが産まれた時間。部屋の時計はどうやら遅れていたらしく
病院では12時10分と記録。部屋の外にいた義母は携帯をみたら12分だったという。
どっちが正しいのか…

赤ちゃんの体重は3600グラム。1週間前から100グラム増えていた。
この病院の体重計は一の位まで計れないのかそれとも3600ぴったりだったのかは分からない…

看護士さんが赤ちゃんにおっぱいをくわえさせてくれ、赤ちゃんは新生児室へ。
私はしばらく休んで病室に移動した。

妹からは安産だったねーとメールがきたけど、
あまりの痛さに、こんなに辛くても安産なのか…と思ったのだった。