50年以上生きていたら、街の風景もだんだん変わってくるもので、都市計画で立ち退きを強いられ、やむなくそれに従わなければなりません。
早良区飯倉2丁目にあったアコースティックライヴハウスが40年の歴史に幕を閉じました。
この場所は、私が初めてステージに立った想い出の場所でした。
それが、チープサイドというお店。
小さなアコースティックライヴハウス
この店が、2023年7月16日、40年の歴史に幕を閉じた。
ここは照和と並んで、私の青春の多くの時間を過ごした場所。
私がステージに立っていたのは、店が開店して3年目くらいからだったかな。
マスターとその奥さんが二人でずっと頑張っていた店。
二人とも気さくでとても優しい人。
私が大学に入り、本格的に作詞作曲を始めて、直ぐに、デモテープを持って店を訪れた。
どうにかオーディションに合格し、月に一度、LIVEをさせて貰えるようになった。
ギャラはもちろんない。
ギャラを貰えるような演奏もできてなかったから当然だ。
ただ、私は自分を表現する場所が欲しかった。
それを与えてくれたのが、テープサイド。
私の音楽の原点。
店の中には、月のスケジュールが書いてある。
スケジュール表には、その月の出演予定の何十人もの名前が書いてある。
毎日、名もないミュージシャンが大きな夢を持ってステージでパフォーマンスする。
立ち退きを言われた時、マスターが最初に発した言葉が何だったと思う?
店の中のスケジュール表を見て、
「この人たちはどうなるんですか」
と声を震わせて言ったと聞いた。
そう、店がなくなるということは、ステージがなくなるということ。
そのマスターの言葉を聞いたとき、胸が熱くなった。
それだけミュージシャン思いだったマスター。
最後にステージに立たせてくれてありがとうございました。
色んな想い出が走馬灯のように甦りました。
私の行き付けだった「ひょっとこ」が閉店した時も辛かったけど、チープサイドが閉店すると聞いた時はそれ以上にショックでした。
でも、私は、これからも音楽を続け、
マスターや奥さんを喜ばせたいと思ってます。
チープサイド、ありがとう。
チープサイド、永遠なれ。