カメラマンという職業は、素晴らしい。

私は、以前、とあるテレビ局で私もカメラマンの助手をしていた。
趣味で、一枚写真も少々していた。
私の弟は、カメラマンである。
カメラマンとして、一人前になるまでの下積み時代は、相当辛い。
私は、ミュージシャンという夢の他に、カメラマンにないたいという夢が、かつてはあった。
でも、小学校時代に目を大怪我し、失明しかけ、その後遺症で、片目は自分の見たいところを見ることが出来ない。
周りは見えるのだが、見たい部分がピンポイントで失明している。
眼球に一生治らない傷があるのだ。
カメラマンの夢は、弟に託した。
やらせたわけではない。
私が勧めたわけではなく、弟、自らが、カメラマンの仕事を選んだ。
私は、平成3年の長崎県島原の普賢岳の火砕流で、カメラマンの先輩を一人亡くした。
とっても面倒見の良い先輩だった。
先輩は、カメラマンになった直後に、普賢岳に行き、火砕流に飲み込まれた。
私も、普賢岳に仕事で行ったが、あの当時の普賢岳は凄まじかった。
山が熱く感じた。
テレビ局の各局がいい映像を撮ろうと必死だった。
先輩も、他局に負けないように、頑張っていたのだろう。
大学のサークルの一つ上の先輩だった。
先輩が亡くなった年に、弟はカメラマンになった。
弟の師匠は、知る人は知っている日本では有名なカメラマンだ。
かなり鍛えられ、紆余曲折しながらも、着実に実力をつけていった。
カメラマンをやめたいと言った弟を殴りつけたこともある。
弟のカメラの才能、センスを認めていたからだ。
時に、誰が見ても、その人の天職なのに、当人が、その修行のつらさから、『やめたい』ということがある。
子供でもそうだが、親が子供の才能を認め、努力の辛さから、やめたいと言い出したとき、つまり、現実の辛さから逃避するために、『やめたい』と言った時は、どうにかして、それを続けさせよう。
才能とは、自分で摘まれることもあるのだ。
そりゃあ、何かを極める、あるいは、ある道で一人前になるまでは、多かれ少なかれ、辛いことは必ずある。
それを乗り切ってこそ、才能は開花するものである。
弟がカメラマンとなり、はや30年である。
一昨年は、ニューヨークフェスティバルで弟がカメラを担当した番組が入賞を果たした。
今からも、私の分まで頑張って欲しいと思っている。
今は、色んな写真、映像関係のコンクール審査員とかやらしていただいているので、すごいなと思う。
人間、諦めなければ、辛抱強く努力を続ければ、報われる瞬間がやってくるのだ。
