てんちょうです。
今日も、暖かい春の日曜日でしたね。
いつも側にいてくれるRカフェスタッフのこと。
現在、ものすごく専門性を持ったRカフェスタッフが、
僕は誇らしくてしょうがありません。
↓こんな人達(笑)

僕は子どものころから友達ほとんどいないし、
あまり特定の人と長く付き合ったり、
特定のグループや組織に参加するとかは、
あまり興味がないし、なじまないことが多いのです。
来る者拒まず、去る者追わず。
人当たりはいいけど、
何を考えているかわからないとか、
冷たいとか、言われることもあるかな、
知らんけど(笑)
そういえば、前に師匠に、
ネコみたいな人、と言われたな(笑)
人を傷つけない大人な表現が、素敵です。
幼少期の養育環境から、愛着パターンが形成されます。
僕みたいな人間関係の傾向を、回避型愛着パターンといいます。
モノに対する愛着は、深いんですけどね~。
僕はそれほど重症ではないと思いますが。
…たぶん。
そんな、とても成熟しているとは言い難い、
不器用な自分を晒し続けて来たけれど、
呆れられつつもそのまま見守ってくれた
みんなに感謝を感じるのです。
来てくれている、お客さんや患者さんにも感謝です。
知らない間に、
そんな大切な人を傷つけてしまうことも多かったと思う。
僕なりに人を大事にしているつもりでも、
それが裏目に出てしまうのです。
妖怪の仕業、と罪悪感に押しつぶされそうな自分を保ちつつ。
それでも、
妖怪退治に取り組むこと自体は、
自分の人生に与えられた課題だと思っています。
人と一緒にいながら、自分自身を保つのって、
難しいですよね。
人間関係で我慢するより、
自分の時間の方が好きだったから、
職場を変わったり、引っ越しも、数多くしたから、
それほど人と深く関わる必要がなかった。
今になって遅ればせながら、Rカフェという場で、
学ばせてもらっているんだと思ってます、
普通は学生時代や社会人のはじめのうちに、
学ぶことなのでしょうねぇ。
Rカフェの5年の歴史の中では、
めちゃくちゃ楽しいこともあったし、
ものすごく辛く、悲しいこともありました。
僕自身、元気な時期もあったけど、
疲れている時期もあった。
もう自分を表現するのが、全く嫌になることも、
何度もありました。
そんなこころが弱っている時には
みんな、優しく見守ってくれた。
ピンチの時には、助けてくれた。
その愛情に応えようとしてるのに、
よけいな一言で、嫌な思いをさせることもあった。
波長が合わなくて、去っていった人もいる。
そんな中でも、いまのRカフェの仲間は、
なんか知らんけど、笑
変わらずRカフェに集ってくれました。
ろくにコミュニケーションも取れない僕に、
よく長年付き合ってくれました。
もはや、謎の妖怪たちです。
← だから一言多いんだってば(笑)
だから、人は
未熟だからダメなのではなく、
何かいいことしたから、一緒にいてくれるのではなく、
傷つけるから、ダメなんじゃなく、
我慢して人に合わせられるから、いいのではなく、
そんな僕に付き合ってくれているという発想自体が、思い上がりで。
優しいからでもなく、何もできないから、ダメでもなく。
もう、個人の力でどうこうなるものじゃなくて。
みんなが集まってくるというのは、
このみんなで創ってきた場に、
場の力が宿っているのじゃないかと思います。
僕もまた
Rカフェの一員として、
てんちょうという役回りで、
場をつくっているのだと思う。

こわっ(笑)