魚住 恵 ピアノリサイタル | 転妻よしこの道楽日記

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昨夜は、魚住 恵 ピアノ・リサイタルに行った。
@エリザベト音楽大学ザビエルホール18時開演。
プログラムは、以下の通り。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 変ロ長調 kv.570
ショパン:ピアノ・ソナタ 変ロ短調 作品35「葬送」
*****
ドビュッシー:『映像』第一集
武満 徹:『雨の樹素描Ⅱ―オリヴィエ・メシアンの追憶に―』
メシアン:『幼子イエズスに注ぐ20のまなざし』より
 「幼子イエズスの口づけ」
*****
(アンコール)ドビュッシー:『亜麻色の髪の乙女』


恵さんは広島が地元ではあるし、これまでも演奏会があるときには
できるだけ聴かせて頂くようにしていたのだが
(近年だと魚住りえ&恵『朗読ピアノコンサート』など)
ほかの奏者との共演や、協奏曲や室内楽の機会はあっても、
単独のリサイタルとなると、もしかしたら私にとっては、
20年くらい前の、彼女の帰国記念リサイタル以来かもしれなかった。

前半、磨き抜かれたモーツァルトは実に美しかったが、
私が更に惹きつけられたのはショパンで、
私がこれまで持っていた、「高度に完成された、端正な」恵さんの印象からは、
ちょっと想像していなかった葬送ソナタだった。
1楽章と2楽章は、私の予想よりテンポが速く、かつ激しく、
要所要所で、思いがけない音が重く響き渡る弾き方だったし、
3楽章の葬送行進曲には、清らかさと妖しさが混在していて、
今の彼女の年齢だからこその演奏ではないかと思った。
そして4楽章は、まるであの世からの独白だった。
多くの演奏ではこの4楽章は、疾走する不気味な音の洪水が、
墓場を吹き抜ける冷たい風のように響くと、私は思っていたのだが、
昨日の彼女の弾いたものからは、私は「声」や「言葉」を感じた。
ちょっと今まで聴いたことのない4楽章だった。
やはりショパンは、底知れないものを書いたのだと今更だが思った。
ショパンの複音楽は何層にもなっていて、際限なく奥の扉があり、
限られた弾き手だけが、その奥の世界を私達に垣間見せてくれるのだ。

後半は、恵さんならではのフランス音楽の世界だった。
彼女の感覚や音色は、フランスものに本当にぴたりと合っていて、
今回も実に見事だった。
更にこの後半の曲目では、楽曲の背景や成り立ちの解説も大変わかりやすく、
演奏者としてだけでなく、指導者や研究者としての、
恵さんの優れた面も存分に発揮されていた。
ドビュッシーから武満、メシアンに至る流れを概説しつつ、
印象派の定義、登場する調性や音階の特徴などに触れ、
限られた時間ながら、現代フランス音楽の導入として、
私のような素人にも、そのエッセンスがよく伝わる内容だった。

私自身は、日頃からメシアンに関する知識は乏しく、
今回の演奏についても、解釈について何かがわかるとは言い難かったが、
聴きながら、何故か強く連想したのが、ジョルジュ・ルオーの絵だった
(初期の濃いほうの絵ではなく、色が綺麗になってからの・汗)。
神への篤い信仰を、美しい色彩の中で描き尽くし、
その一方で太い輪郭線があり、ほの昏い主張も根底に確かに存在していて、
恵さんの描くメシアンは、私の心のどこかでルオーと繋がっていた。
一枚の絵の前から、しばらく動かずに眺めるように、
もっと聴いて、浸っていたいと思った、メシアンの世界だった。

ほかのピアニストにはあまりない切り口だと思うし、
恵さんには、また是非、こうしたリサイタルを企画して頂きたいと思っている。
モーツァルトから始まり、現代フランス音楽に向かう道筋を、
音楽史に沿って、側面から正面へとなぞるように聴いて来て、
最後にメシアンまで辿り着き、私は聴き手として、
とても恵まれた「メシアンとの再会」ができたと、昨夜は思った。