「英語遠足」始末記 2 | 転妻よしこの道楽日記

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さて、『みよし風土記の丘』に着いて、
私達は最初に、歴史民俗資料館に入った。
ロビーに展示されていた、地元神楽の写真を、まずM氏は熱心に見ていた。
彼は、昔から日本に興味があったために、能や狂言にも関心が強く、
「神楽は神事でしょ?能の祖先が神楽?」
といきなり答えにくいことを訊いて来たりした(爆)。
「直接には、古代に中国から伝わった猿楽や田楽が、
のちに、能・狂言に発展したと言われているのですが、
……神楽は田楽とは関係がありそうだけど、能と神楽の関係は、
……どうなんでしょう…(逃)」
と完全しどろもどろな、自称ガイドのワタクシであった(殴&蹴)。

それから常設展示室に入り、出土品や復元の展示を見た。
縄文・弥生時代から古墳が出現する時期に至るまでの、
土器や埴輪、青銅器・鉄器の発展についてや、農業の発達、等々、
私自身も随分と復習になった(笑)。

続いて、いよいよ外の古墳ゾーン散策に出かけた。
風土記の丘には、なるほど無数の円墳・方墳があった。
「古墳は、4~7世紀の支配者階級の埋葬用の塚で、
埴輪や宝飾品など副葬品も一緒に納められています」
「前方後円墳の最大のものは大阪にあります。
それは、以前は仁徳天皇陵と言われていましたが、現在は諸説があります」
と、私は、通訳ガイド試験のために覚えた懐かしい台詞を言ったが
M氏は既に、日本の歴史については十分な基礎知識があったので、
本当のところ、私の言ったことはあまり役に立たなかったと思う(爆)。

しかし、たったひとつ、M氏が、
「鉄器を使っていたというけど、材料の鉄はどこで取れたの?」
と訊ねたとき、私が、
「島根県に近い山地の川で取れた砂鉄から作りました」
と答えることができたのはポイントが高かった。
勿論、私は知っていたのではなく、そのへんの表示に書いてあった、
日本語解説を英語にしただけだったが(殴)。



風土記の丘には、古墳時代の遺跡ばかりでなく、
江戸時代の「旧・真野家住宅」(重要文化財)もあった。
これは中国地方を代表する古民家で、
もとは世羅町戸張にあったものだということだった。
さきほどから、園内の古墳や高床倉庫など、
暑い中、ずっと歩いて見学して来たので、
こうした屋根の深い日本家屋に入ると、途端に涼しくなって助かった。
ここはいわゆる日本式の住宅で、広い土間にクド(かまど)があり、
その上手に囲炉裏の設けられた茶の間、納戸ふたつ、座敷と床の間、
という間取りになっていた。
茅葺き屋根、入母屋造り……thatched、えーと、ああもう、なにroofだか(殴)。

「Ah, this is ……、Takara in Japanese?No?」
とM氏が軒下に触れて屋根部分を指さしながら言うので、
「屋根、ですか(^_^;」
と言ったら、
「ソウ、『ヤネ』!『ヤネ』!roof、ヤネ、デスネ!」
と日本語で喜んでいた。なぜ『屋根』が『宝』になったのか???
それで、そうだったM氏は日本語を勉強しているのだったと思い至り、
「お若い方でも、これだけ歩いたら、さすがにお疲れのようですね」
と私が日本語で言ってみたら、ちゃんと通じた(爆爆)。そして、
「疲レテナイデス。暑イダケ」
と巧い日本語で返してきた。
をいっ、それくらいできたら日本語遠足でも良かったんじゃないかっ(--#)。

しかし本当に、良い天気の残暑の中を歩き回って、大汗をかいたし、
くたびれたのは確かだったので、このあと我々三人はワイナリーに戻って、
喫茶店の外のパラソルのあるテーブルで、ソフトクリームを食べて休息した。
そして、M氏がこれまで日本で出かけた旅行先のことや、
今後、日本でやりたいこと、アメリカに帰ったら何を勉強して、
どういう順序でキャリアアップしたいと考えているか、などなど、
彼の過去と現在と未来の話を聞きつつ、こちらもいろいろ質問し、
ときどき彼の日本語力を試したりなんかもして(笑)、しばらく喋った。

三次バスセンター15時ちょうど発の、帰りのバスは、とても空いていた。
冷房の効いた、快適な座席で安楽に座り、
信号もなく渋滞もしない中国自動車道をまっすぐに走り続けていると、
とても気持ちが良くなり、朝からの疲れも出て、やがてM氏はお休みになった。
優しいK子さんがM氏の側の窓にそっとカーテンを引いてあげて、
西日が遮られると、ますますM氏は本格的にお昼寝になった。
最初はそれでも、私たちに気を遣って寝たフリしているのでは、とも思ったが、
M氏は途中から、もうすっかり口を開けて無邪気にお休みだった(^_^;。
それで、そこからは、K子さんと私のMoms' Talkの時間だった。
勿論、日本語炸裂だっ(爆)。

M氏「ZZZZZ………」

そして、オバさんたちの話をものともせず70分ほど爆睡したM氏は、
広島バスセンターのひとつ前の、中筋駅になると、
ムクっと起き出し、サングラスを外して窓の外を見、
「Uh……Where am I?」
と訊いた。どういう巧い体内時計になっているのか(笑)。

**************

無事に広島に帰り着いたM氏は満面の笑みで、
きょうは本当にありがとう、良い旅行だった、と言ってくれた。
そして、これから晩ご飯を作るからまっすぐ帰るよ、ということで、
市内電車かバスに乗って広島駅に向かうつもりだとも言った。
K子さんと私は、笑顔で手を振って、M氏を見送った。

偉い。なんとマメなアメリカ人なのだろう。
K子さんと私は、おもむろにバスセンター下のデパ地下に行った。
私たちは、もう、これから晩ご飯を作るつもりなど、毛頭なかった。
夕方のタイムサービスで、お弁当やお総菜を買い、
今夜はそれを並べて、晩ご飯ということにしようと目論んでいたのだった。
私たち二人は、その点でとっくに、完全な意見の一致を見ていた。

異国の青年とさんざん三次観光したのち、夕食は出来合い(^_^;。
それは、M氏が日本に来て驚いたという、
『家族のことを全部やってあげているお母さん』像から、
相当に隔たった姿であることは、間違いなかった(爆)。