11日(土)に『六月博多座大歌舞伎』を昼夜通しで全部観た。
いろいろと書きたいことは多いのだが、きょうは特に、
その中で私にとってあまりにも大きな感動だった『魚屋宗五郎』のことを
今の勢いのままで、記録しておきたいと思う。
もともとこれを最大眼目と考えて観に行った今回の博多座だったのだが、
音羽屋(菊五郎)は私の想像を超えていた。
ファンとして本当に嬉しいことだったし、私はこれからはもう、この演目を
今までのようには観られないかもしれない、と思ったりもした。
現在の音羽屋にこのようなものを見せられてしまった以上、
私は今後二度と、『魚屋宗五郎』という芝居を平常心で観ることはないだろう。
音羽屋の『魚屋宗五郎』を、これまで私は何度観たか正確には覚えていないのだが、
「女房おはま」として芝翫・田之助・時蔵の記憶があるので、
それに今回の魁春を入れると、どんなに少なくとも音羽屋主演で四度は観ているわけだ。
過去の『宗五郎』に関しては、私はもちろん十分に気に入ってはいて、
だんだん酔っていく風情が見事過ぎる・さすが酒飲みの音羽屋、とか、
音羽屋の台詞回しは絶品だ・胸がすく、とか、
天秤を肩に颯爽と走る魚屋姿の宗五郎が目に浮かぶなあ、
等々、主として音羽屋の「芸」に見とれている部分が大きかった。
また、妹を失った兄としての悲哀もよく伝わってくると思っていたし、
音羽屋独特の温かい人情味の見えるところがいい、などと考えたこともあった。
しかし今回の音羽屋は、私にとって、もはやそこに留まらないものだった。
始めに登場したときの宗五郎は静かに落ち着いているように見えるが、
それは懸命な努力で自分を殺しているだけで、
本当は、宗五郎は誰よりも怒っているし、やり場のない悔しさに身を焼かれている。
そのことが、芝居が進むにつれて明らかになり、
禁を破って酒を飲めば飲むほど、宗五郎がそれまで押し隠していた悲しみが溢れ溢れて、
私は、どうかすると、その胸の痛みがこちらにまで乗り移って来そうな気がした。
宗五郎の酔って行く過程よりも、その悲しみが溢れ出す有様のほうに
ここまで強く引きつけられたのは、初めてだった。
酒を飲み干し、妹の仇である磯部屋敷に殴り込むと言い出した宗五郎を、
女房のおはま(魁春)が体を張って止めようとするのだが、
宗五郎が、その妻の髪をつかんで乱暴に引き倒すところは、
妹のお蔦が殺されるとき「たぶさを掴んで引き廻された」とあることの再現だ。
周囲の者を罵倒し、振り払って突き進むほどに、宗五郎自身の心も血を流す。
酔った宗五郎が格子を蹴破り、角樽を振り回して花道に出たとき、
宗五郎が体中から発散する悲哀・やるせなさに私は心底、打たれた。
見得を切った宗五郎は、もはや止め処も無く全身で慟哭していたのだ。
そうして、虚空を見つめて花道を遠ざかって行く宗五郎の行く手には、
彼の慟哭とは無関係の、浮かれた祭りの賑わいが広がっていることまで、
今回の音羽屋の芝居から私は感じた。
そのあと、お屋敷の玄関で取り押さえられ、御家老(左團次)を前にして言う、
「酔って言うんじゃございませんが」
からの台詞がまた、かつてなく強く胸に迫った。
酔眼の宗五郎が語る、輝かしいほど幸せだった頃の思い出。
かつて、妹のお蔦が旗本の殿様の目に止まり、奉公に上がったことで、
その支度金に賜った二百両のお陰で、一気に宗五郎一家の暮らしは楽になった。
それまでの借金を返済でき、質に入れたものを取り戻し、商売道具も新規に買い揃え、
活きのよい魚を仕入れて安く売るので魚屋も繁盛し、好きな酒も飲めるようになり、
……善良な宗五郎は、うまく回り始めた生活に夢中になり、懸命に働いたのだ。
しかし同時に、その幸福がもたらされたのは、妹を売った、……と言えば語弊があるが、
妹が殿様の寵愛を受けて妾になったお陰なのだという事実は、
やはり兄として、どうしようもなく、ほろ苦いものでもあっただろう。
酔っている宗五郎は、この場面は『笑い上戸』だ。
威勢の良い七五調の台詞で、当時の充実した幸せな日々を述懐して、
「おやじも笑やぁ、こいつ(妻)も笑い、わっちも笑って暮らしやした。はははは……」
と天を仰いで笑うのだ。そして、微笑を浮かべたまま、ぽつりと
「あぁ、面白かった、……ねぇ…」
その、美しく健気だった、たった一人の妹が、死んだ。
お城で不義密通の濡れ衣を着せられ、手討ちになった。
本当は何の咎も無かったのに、残酷なやり方でなぶり殺しにされたのだ。
その怒りや悔しさ、妹への不憫さで宗五郎の胸は張り裂け、
同時に自分のふがいなさに憤らずにはいられなかった。
だから、酒の力を借りてとうとう磯部屋敷に暴れ込んで来たのだ。
物語としては、この宗五郎の話に、たまたま、
家老の浦戸十左衛門(左團次)が耳を傾けてくれ、
殿様の磯部主計之助(松緑)の取りなしまでしてくれることになり、
宗五郎一家の言い分が通り、救われることになるというのが結末だ。
だが現代風に理屈を言うなら、どんな償いをして貰っても死んだ者は戻らない。
犯人が詫びようが死刑になろうが、遺族の地獄を救うことはできないのだし、
ちょっと慰謝料か何か払った程度で、どうか恨みを忘れてくれないか、などと、
そんなことで到底済まされるか、人の命は金じゃないんだ!
……と、今の日本に暮らす我々なら思うところだろう。
私も以前の観劇時には、漠然とそのような違和感を覚えたこともあった。
けれども、江戸の、名も無い庶民であった宗五郎たちにとって、
旗本の殿様(松緑)や御家老様は、目を合わせることもできない、雲の上の存在だった。
そのような人たちが、宗五郎一家とお蔦のために、じきじきに手をついて謝り、
弔慰金と年金も約束し、お蔦に濡れ衣を着せた者たちは処罰するとまで明言してくれると、
もうあまりにも勿体なく、宗五郎夫妻は途端に幸福と感謝で満たされるのだ。
私は今回の宗五郎を観ていて、むしろ彼らのそのような純朴さのほうに、
いとおしいほどの共感を覚えた。
今の社会常識から言えば他愛の無い話かもしれないが、だからこそ、
当時の庶民の、裏表のない真っ直ぐな生活のあり方に、打たれるところでもあるのだ。
私は今回、観客として、宗五郎の満足感に、ごく自然に心合わせることが出来た。
宗五郎が、胸のつかえが取れ、すっかり慰められた気持ちになるならば、
観客もまた、しみじみと満たされ、穏やかな気持ちを共有することができる。
現代的な感覚や常識に、私たちが戻る隙を瞬時も与えないどころか、
救われた冴え冴えとした気分で客席までも満たしながら幕となったところが、
まさに今回の、この芝居と役者さんたちの巧みさであったと思う。
それにしても、
「おやじも笑やぁ、こいつも笑い、わっちも笑って暮らしやした。はははは……」
「あぁ、面白かった、……ねぇ…」
の台詞があれだけ心に染みたのは、私が個人として年齢を重ねたせいもあるが、
今回に関しては、今の日本全体の状況も大いに関係があったと思う。
3月11日の地震で、私たちはかけがえのないものを多く失い、
それらが二度と取り戻せないものであることを、痛いほど知ってしまった。
なんの疑いもなく明日が来ることを信じていられた大らかな日々は、もう戻らない。
時代も境遇も全く違うのに、宗五郎の述懐は、まさに、今の私たち皆のものだった。
震災からちょうど三ヶ月目の6月11日に、あのような音羽屋の『魚屋宗五郎』を観たことは、
私にとっておそらく特別な意味があったのだと思っている。