小学校を丸ごと受け入れ=廃校などを活用―広島県教委
(時事通信)2011年3月25日(金)14時58分配信
『広島県教育委員会は25日、東日本大震災で被災して児童の通学が困難になった小学校について、教職員も含めて学校ごと受け入れると発表した。人事交流のある宮城県教委に連絡した。』『受け入れは、4月からおおむね1年間で、広島県江田島市の「国立江田島青少年交流の家」に宿泊してもらい、近くの廃小学校を活用して授業を行う。受け入れ可能数は、児童150人(1学年25人)、教職員10人の計160人程度。』『教科書や学用品などは広島県教委で準備するが、広く寄付も募る。また、生活費については、「家庭の負担が基本だと思うが、個々の状況を踏まえてできるだけ負担がかからないようにしたい」(教委)としている。』『教委は、安芸高田市でも同様の方法で小学校ごとの受け入れを検討している。』
母校の同窓会広島支部のほうでも、これが実現するなら支援したい、
という動きが既に出ているので、私も知ってはいたのだが、
しかし記事中には児童の保護者や家族のことが全然出ていないのが気になる。
人数的に、児童と先生方だけしか、受け入れることができないという話なのだろうか。
先生方についても、被災児童と立場は異なるにしても、
この文面からは単身赴任を勧めるというふうに読める。
それは、これほどの規模の被災の場合、仕方のないこととせねばならないのだろうか。
江田島青年の家は私も何度か行ったことがあり、
環境も悪くはないし(田舎ではあるが・汗)、宿泊棟や食堂や売店があり、
浴室や医務室なども、一定期間の集団生活に耐える設備はある。
被災地での現在の生活よりも、遙かに安心して過ごして戴けるだろうとは思う。
同じ学校で学んでいた皆がばらばらになることなく、
学校単位で移れるということも、それ自体は悪くないだろう。
しかし児童と先生だけの集団生活を想定しているとしたら、やはり酷ではないか。
たとえ一時的な避難のためとはいえ、馴染んだ土地を離れることは
大人にとってさえも決断の要ることなのに、
全然知らない遠い場所に、年端もいかない子供たちを、
特に地震でショックを受けたばかりの子たちを、
家族から放して送り出すことなど、私が保護者なら容易には同意できない。
もはや学童疎開という感覚が通る時代ではないと思う。
最終的に、死ぬか生きるかという選択にまでなれば、
子供だけでも!と思うのは当然だが、今はそういう話をしているのでもないだろう。
小学校まるごと集団疎開支援プロジェクト(広島県教育委員会・PDF)
を見ても、『受入可能数:160人程度(各学年1学級規模[児童150名、教職員10名])』
とあるだけで、児童の家族のことには全く触れていない。
どういう想定になっているのだろうか。私はそれが一番気になっている。
国立江田島青少年交流の家の施設の概要のページを見ると、
『宿泊室-洋室(240人)・和室(160人)、講師宿泊棟、ボランティア棟』
などとあり、児童150名しか宿泊できないわけではないようだが、
家族単位での受け入れが可能な構造には、なっていないように思われる。
被災児童や関係者の心情に対して、もっと配慮のあるかたちにできないものだろうか。
近くに家族も入れる県営・市営・町営住宅などがあれば、まだしもだが、
島の中には無さそうな感じがするし、対岸にもまとまったものがあるのかどうか?
ただ、ひとつ良いと思ったのは、これが県教委同士での話になっているという点だ。
「自主避難」の言葉のもとで、皆が各自の判断で行動していたら、
誰がどこに行ったか行っていないのか、行政のほうで把握できなくなってしまうからだ。