自分の子供を「ちび」という親(発言小町)という文章に偶然出会って、
いろいろな感覚があるのだなと、ちょっと感心したというか驚いたというか。
この「トピ主」氏は、自分の子供を「ちび」と表現する親がいることが不思議で、
どういう心境なのかと疑問に思っているのだそうで、
『わたしから見ると、自分の子供を「所有物」としてみているような、
支配欲が出ている言葉のように感じるのですが……』と書いている。
私自身は、うちの娘を「ちび」と表現したことはないが、
……というか娘は赤ん坊の頃から、月齢の割に身長のある子だったので、
「ちび」という呼び名がどうも、そぐわなかった、とも言えるのだが、
この呼び方そのものには、私は全く悪い印象は持っていない。
周囲で、自分の家の子をそう呼ぶ人がいても、不快なものを感じたことはない。
回答でも複数の方が書かれているように、
「うちの、可愛い、ちっちゃな子」という気持ちが根底にあって、
それを「愚息」的に、人様の手前、へりくだって言っている言葉だと思う。
しかし、他人が親として自分の子を「ちび」と呼ぶことを、
端で聞いていて不快に思う人がいる、
というのは私にとっては新しい発見だった。
場合によっては、将来的に、配慮せねばならない場面があるかもしれない。
とりあえず、このことは記憶しておこう(笑)。
「ちび」よりも私が多少ひっかかるのは、ネットでよくある、
息子さんを「王子」、娘さんを「姫」と呼んでいる親御さんのほうだ。
確かに、どの子だって親にとっては掛け替えのない大切な存在だし、
またそうでなくては不幸なのだから、心情的にはよくよくわかるのだが、
しかしそれは、親の心の中だけの、秘すべき次元の話に近いのではないのか。
よそのお宅では、その家の子こそ「王子」「姫」なのであって、
その家では、うちの子たちは「王子」や「姫」には、なり得ない。
なのにその部分をないがしろにして、無頓着に、
我が子を「王子」「姫」と呼ぶ「我が家の世界」を読者一般に共有させる、
というのは、どうなのかな、という感じが、正直なところ私にはある。
今風に言えば「イタいよな~」と思うわけだ。
うちの子も「王子」、相手の子も「王子」、お互い「王子」なのだからいいのよ!
という理屈なのだろうとは想像できるが、
やはり、「王子が」「姫が」という文章を読んでいると、
これがある種のノリで済むか済まないか、の境界線には、
もう少し繊細な配慮があっても良いのでは、と感じてしまう。
もうひとつ、私は、よく見かける「子どもをつくる」「子づくりをする」
などの言い方が、昔からかなり嫌いだ。
これにはハッキリと嫌悪感がある。
芸能ゴシップで「女優○○が子づくり解禁!」などと書いてあるのは、
もともと、そういう下品な勢いで読者を引きつける手法だから仕方がないが、
ごく普通の人が「もう○歳だし、早く子どもをつくらなくちゃ!」
などと言うのを聞くと、私は、なんともいたたまれない気分になる。
新しい人間の命を、自分達の意志ひとつで簡単に「つくる」ことができる、
と考えるなんて、あまりにも畏れを知らない、思い上がった言い方ではないだろうか。
子供は、ひとつの奇跡のように、「授かる」ものだと私は思っている。
それを、ぬいぐるみやお菓子と大差なく「つくる」と表現するなんて、
ひどく感覚の荒い言葉使いだと思えて、私はこの言い方が以前から非常に嫌いだ。
「授かった」は、日常生活で使うには、いささか文語的な言い回しかもしれないが、
「子供が生まれた」「子供ができた」ならまだしも、「子どもをつくった」だなんて、
仮にも「人間」に対して、そんな言葉は使って欲しくないのだ。
これこそ、『自分の子供を「所有物」としてみている』言い方ではないか。
ちょいと粗雑に「つくった」ものが、「王子」や「姫」になるのだとしたら、
あまりに安っぽくて、滑稽でしかないと思う。