モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 第2楽章 | 転妻よしこの道楽日記

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まだ先のことなのだが、5月に二台ピアノで、
モーツァルトのピアノ協奏曲第27番 第2楽章を弾かせて戴くことになり、
このところ、そろりそろりと、練習している(笑)。
(もちろん、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第5番もまだやっている。
こちらはとうとう第3楽章終盤まで来たので、あと少しだ。
ちなみにツェルニー30番は、今ちょうど折り返し地点の15番をやっている。)

A.de Larrocha - Mozart Concerto No.27 in B flat, 2nd mov(YouTube)

この曲は、意外に思われるかもしれないが、譜を拾うだけなら極めて易しい。
ピアノの心得がある人なら、一日で弾けるようになるだろう。
難しいところが、ほぼ一箇所もない。
強いて言えばトリルや装飾音で、少し技術的な巧拙が出るかとは思うが、
とりあえず、何かモーツァルトをやってみたい、という初心者にはお勧めだ。

しかし毎度のことながら、本当の意味で難しいのはその先だ。
こういう音数の少ない曲では、弾き手の力量が一発で露見してしまう。
大人の弾き手なら、技術的には初心者でも耳年増ではあるので、
最初のフレーズを弾いてみただけでも、
「ホントは、こんなんじゃない。ちがーう(--#)」
というのが自分でよくわかるはずだ。

しかし、もうこうなったら開き直って、ショもないオバさんピアノでも、
「いっぺん、ソリストというものをやってみる!」
と頑張るしかないだろう。
私のような弾き手にだって、それなりの強みが、無いことはないのだ。
それは、「(全然頼まれてもいないのに!)弾きたいから弾いている」、
「ここまで弾けるようになったところを、みんなの前で、かたちにしたい」、
という、アマチュアならではのパワーだ。
期待に応えなくては、とか、恥ずかしいものは聴かせられない、等々の
社会的なハードルは何もなく、ただただ私的な世界の追求を皆に見て貰うだけだ。

実際、つい先日も、高校の同級生で現在ピアノ教師をしている友人と、
電話で話したときに、彼女が、
「大人で初めての人が、『エリーゼのために』を弾くと言うのよ。
しかも、初心者用に書き直した楽譜もいっぱい出てるのに、
そういうのは駄目で、オリジナルの、そのままがいい、と言うのよ。
それでその人、3年もやってるのよ、『エリーゼ』だけを。
途中の速いところは弾けないから急にゆっくりになったりするの。
でも凄くビシビシ伝わって来てね。打たれるの。聴いてて涙が出て来るのよ」
と言っていたのだ。
これぞ、愛好家にしか到達できない、究極奥義ではないか!
義務感もあり矜持もあるプロの弾き手では、あり得ない境地だろう。

まあ、私が弾くとなると、聴いて下さる方々は、
こんな辱めを受けるモーツァルトが、あまりにも可哀相で涙が出る、
という可能性がありそうで、とても心配だが(爆)、
それでも私なりに、何かひとつ完成させることができれば、
と今は願っている。
モーツァルトほどの天才であれば、音楽の可能性も見通していただろうから、
もしかしたら、自分の作品が、そのようなかたちで弾かれることも
許容してくれるのではないだろうか。

ときに、モーツァルトの協奏曲、特に2楽章は、プロであれば、
装飾音の入れ方がソリストのひとつの腕の見せ所だろうと思う。
私はそこまで行けないから、多分、楽譜の通りに弾くことになると思うが、
自分の持っているこの曲のCDを聞き比べてみると、2楽章は本当に楽しい。
冒頭に貼ったラローチャもところどころ美しい変奏を入れているが、
フー・ツォンのはもっと華やかに感じられ、これまた興味深い。
幼い私を、モーツァルトの世界に誘ってくれたのはギーゼキングだったが
省みると、近年はずっとフー・ツォンが私にモーツァルトを教えてくれている、
ということにも、この協奏曲を練習し始めてから気がついた。