40人かそれ以上の学級が本来だと私は思うが | 転妻よしこの道楽日記

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35人学級、小1だけで来年度導入…小2見送り(読売新聞)
『政府は17日、文部科学省が2011年度予算で要望していた「小学1、2年の35人学級」について、小1の35人学級を実現するのに必要な教職員2300人分の人件費数十億円を上積みする方向で最終調整に入った。』『財源難から「小2」分は見送ることにした。17日午後の野田財務相と高木文部科学相の折衝で合意する見通し。11年4月に入学する小学1年生から「35人学級」が実現する見込みとなった。』『政府は、公務員の総人件費を抑えるため、当初は、現行の「40人学級」の維持に必要な約2000億円だけを認める方向だった。ただ、その後の政府・与党の調整で、民主党が先の参院選公約で掲げた「少人数学級の推進」に一定の配慮をすべきだとの意見が強まっていた。』(2010年12月17日14時36分 読売新聞)

私は教育に予算を割くこと全般には基本的に好意的なのだが、
経費の面の問題は別にして、少人数学級をこれ以上推進することには反対だ。
少なくとも、少人数であればあるほど指導が行き届くから良い、
という考え方には私は同意しない。
ひとりひとりを把握した細やかな指導は「個別指導」の領域であって、
学校は一定人数以上を単位とした、「集団教育」の場であると考えるからだ。

会合などを企画していると誰でも感じることだが、
総人数が少ないほど、個人的な(場合によっては無責任な)発言をしやすい雰囲気になり、
全体が簡単に井戸端会議的になる。
学級の人数が少なくなっていくと、担当の教師だけでなく、
生徒(児童)同士も、互いの性格や個性を深く濃く把握するようになり、
影響力を発揮するタイプの子にとっては、自分の力を浸透させることが容易になる。
45人を向こうにまわして言うことを聞かせるのは大変でも、
20人となればそれがかなりラクになるのは、何も教師に限ったことではなく、
「声の大きい」「傍若無人な」生徒(児童)にとっても同様だ。
少人数クラスで定着・徹底する「もの」の性質を考えてみると、
それらは決して良いものばかりではないと思う。

ただ、昔と違って、今は小学校に入って来たばかりの児童の指導が
大変難しいものであるということは漏れ聞いている。
私などが子供だった頃は、毎時間きちんと机について座っているのは当然だったし、
規則違反などすればすぐ叱られたから、学校で暴れるということは普通、なかった。
ひとクラス50人近くいた時代だったが、先生は強い存在だったし、
学校は自分勝手なことは通らない場だという了解が、1年生のときからあった。
思ったことをその場ですぐ言う、というのは多くの場合、行儀の悪いことだった。
生徒は、良くも悪くも、先生の顔色やクラスの雰囲気を見てから行動していた。

しかし「学級崩壊」が社会問題となった今は、状況が違っていると思う。
活発な自己表現そのものは、本来、良いものであったにも関わらず、
児童・生徒は今や、かつての学級という単位では収拾の付かない存在になりつつある。
低学年学級で、これほど少人数教育が必要になって来たことは、
教育内容の充実というより、むしろ教育現場の荒廃を示しているのであり、
集団教育という目標を一旦放棄してでも、個人指導に近い状態を確保しなければ、
児童を学校に居させることが難しくなった、ということなのだろうと思う。