ある面での自己否定は成長の印 | 転妻よしこの道楽日記

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青少年調査:「自分が好き」成長とともに薄れ(毎日新聞)
『小中高生の自分に対する評価が年齢が高くなるに従って低下していることが、独立行政法人・国立青少年教育振興機構の「青少年の体験活動等と自立に関する実態調査」で分かった。「今の自分が好き」と答えた高校生は26.4%で、57.1%だった小学生の半分以下にすぎないなど、成長に伴って自己肯定感が薄れる傾向が鮮明になった』『自分に対する意識で「今の自分が好きだ」と考えているかについては、「とても思う」「少し思う」と答えた割合が▽小学5年57.1%▽中学2年27.3%▽高校2年26.4%--と年齢が上がるほど下がった。』『「自分には自分らしさがある」も、小5は75.5%だったが、中2が56.1%、高2が55.9%。「勉強が得意だ」も小5が48.2%なのに、中2は23.1%、高2は18.3%だった。』

『自分が好き』という表現が、私自身は以前からどうも気色悪いので、
もし私が回答する高校生で、『今の自分が好きか』と訊かれたら、
きっと「いや別に(^_^;)」と答えたくなるだろうと思う。
私にとって自己とは『好き』『嫌い』の対象外、純然たるデフォルトだ。
しかし、まあそれは語彙に関する、私の勝手なコダワリであって、
ここでは『自分の現状はこれで良いと思えるか』という意味なのだろう。

記事では、成長とともに『自分が好き』な子供の割合が減る、
と書かれているのだが、それは問題である、ということなのだろうか。
年齢が上がって自意識が芽生えてくると、そんなに簡単には
自分を肯定できなくなるほうが普通なのではないか、と私は思う。
行き過ぎて『自分なんか何の価値もない』『生きるに値しない人生だ』
などと、イタいことを(苦笑)考えるのも、若い子にはありがちだと思う。
そういう考え方・徹底した自己否定、のできる自分に酔う、というか。
こういうのも実は逆の意味で、『自分好き』に通じているのだろうけれど。

それはともかくとして、小さい頃は、
『自分は果たしてこのままで良いのだろうか』などと、
立ち止まって考えることが(ほとんど)無い(だろう)から、
悩むにしても内容が単純だし、将来を憂える能力も、さほどないと思う。
他人と比較して自分を客観視する力だって、最初から十分あるわけではない。
年齢が上がるにつれて自分に満足できなくなるのは、
抽象的な思考や客観的な判断、現状への認識の能力が備わってきたからこそで、
私からみれば、あり得べき、成長のひとつの過程だと思われる。

『勉強が得意だ』は、どの科目のことを言っているのだろうか。
こういうものの常として、ペーパーテストの科目のことではないか、
と想像するのだが、体育や芸術に関して訊ねてもきっと同様に、
『得意だ』という回答は学年を経るごとに減っていくと思う。
学年が進むほど、授業も教科制になり、それだけ高度なことを習うのだから、
誰も彼もみんなが『得意だ』と簡単に言えなくなるのは当然だ。

体育など、小さい頃は駆けっこ程度しかしないから、
『こんどの運動会でも一番になるぞ!』
と自分に満足している子も結構いるだろうけれど、
中学や高校と学年が上がって来ると、いくら体を動かすことが好きでも、
陸上部で短距離を中心に鍛えてきた友人たちには到底勝てなくなる。
水泳でも球技でも、練習すればそれだけ高度な技術のあることがわかり、
小学校の頃に思っていたほど簡単ではない、
ということを、高校にもなれば誰でも肌で感じるようになるはずだ。

学校に限らず、例えばピアノだって同じことだ。
習い始めのバイエルの頃には、練習して行きさえすれば間違えずに弾けて、
自分は巧いんだ、と満足感に浸る機会がたくさんあるが、
何年か習ってソナチネなどを弾くようになると、頑張って練習しても、
それだけでは思うように弾けないという壁にぶつかるようになる。
世の中にはとんでもなく巧い人がいる、ということもわかるようになる。

幼いうちは、そういう視点や感覚が欠けていて、わからなかっただけであり、
『わかるようになった』ということは、格段に成長したということだ。
だから尚更、要求水準も上がり、容易なことでは自分に満足できなくなる。
そして、その不満足な状態から、なおも追求すること・どこかで断念すること、
両方の意義と難しさとが、年齢とともに理解できるようになる。
ただルンルン♪と、自分の現状を大ざっぱに気に入っているよりも、
『自分はこういう点で劣っている。我ながら駄目な人間だと思う』
等々と知るようになるのは、実りの多いことだと私は思っている。
そしてまた、さんざん自信喪失したり、自己嫌悪に陥った挙げ句に、
『隣の芝生が偶然に青く見えた』だけだった、と知ることだってあるだろう。

ところで、自然体験に関して、
『「過去3年間にチョウやトンボ、バッタなどをつかまえた」かについて、98年調査と同様に小4、小6、中2に尋ねると、「ほとんどない」が41%で98年の19%から倍増。』
とあり、最近は本当に、虫などは触ったことのない子が多いのだな、
ということが察せられるのだが、しかし私でさえ、
中2にもなれば、『過去3年間』と限定されると、
虫捕りの経験など『ほとんどない』と答えざるを得なかったと思う。
かつては素手でアブラゼミを捕り、バッタの足を持ってお辞儀をさせ、
蟻地獄にアリを落とし、タニシをコレクションしていた私でさえも、
小学校高学年からあとは、そういうことは、もうやらなかった。
まあ私の場合、家の前が田んぼで横が川、背後が山だったもんで、
『見るべきほどのことは見つ』という心境だったのかもしれないけど。