
後期はフランス語は継続するが、スペイン語のほうは一旦お休みにして、
とりあえずこれから半年間、中国語をやってみることにした。
漢詩趣味の延長で、最近は中国語の「音」に興味が募ってきて、
かじる程度でも一度勉強してみようと思うようになったのだ。
折しも昨今は中国の好景気とあいまって一種の中国ブームで、
さらに、先日来の尖閣諸島その他での問題もあって、
日本人の中国への感情はより複雑なものになって来ていると思うのだが、
私がこのタイミングで中国語を始めようと考えたのは、
そのような状況とはなんら関係のないことだ。
私も家族も誰も、中国を相手にした仕事をする立場ではないし、
東アジア情勢や中国文学に造詣が深いとは、もともと到底言えないし、
とっかかりになっている事柄といったら、
漢文とフー・ツォン、たまにラン・ラン、梅蘭芳、くらいかなと。
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気の向くままに外国語をかじることはとても好きで、
学生時代から、いろいろな言語に首を突っ込むことだけは続けてきたのだが、
未だに、私は外国のことなど、ろくにわかっていない。
むしろ、外国語をやっていて思うのは、
自分はまさに日本だけで育って日本語で生活する人間だ、ということだ。
英語が若干使えるようになり始めた、大学生くらいの頃、
私は知れば知るほどアメリカ人が嫌いになり
(習っていたのがアメリカ英語だったのでイギリス人のことは眼中になく)、
ロジック優先の、「アナタはこう・でも私はこう」「なぜ・なぜなら」
ばかりを連発するキツい論法が、耐え難く思われた時期があった。
英語が上達し始めた途端、私は自分でも意外なほど国粋主義的になったのだ。
その段階を超えて、もう少し客観的にものごとを見られるようになってから、
ようやく私は、日本語を基準にした発想を切り離して、
英語を英語として(「完全」には程遠いが)使えるようになったと思っている。
自分の中の日本語がいかに根強いものであるかを理解するようになり、
無意識に日本語だけを正しい基準として考える自分を、押しとどめて、
英語という別基準を、自分の中に自分で組み立てることができるようになって、
初めて私は私なりに、英語の使い方を考えられるようになったと思うのだ。
だから私は、いかなる外国語を学ぶにしても、
ニコヤカなガイジンさんと、ゲームや歌を楽しんでいるうちに、
いつのまにかペラペラになる、
などという学習法は、まったく信用していない(笑)。