5月の後半に風邪をひいてから、あまり活動的でなかったので、
そのぶん、家でごろごろして本を読むことができた。
1.『坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道』中川右介(幻冬舎新書)
2.『病気が変えた日本の歴史』篠田達明(NHK出版)
3.『10秒の壁』小川勝(集英社新書)
4.『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』中野京子(光文社新書)
5.『耳の中の声』佐藤愛子(中央公論社)
6.『私の遺言』佐藤愛子(新潮文庫)
7.『大衆食堂の人々』呉智英(双葉文庫)
5と7は以前にも読んだのを、このほど思い出して読み直した。
2と3と4は主人の本棚から失敬して来たもの。
呉先生の本は読み出すと止まらないので、
今月はこのあと、呉智英・月間になりそうな予感(笑)。
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一番面白かったのは、最初に書いた『坂東玉三郎』だった。
私にとって玉三郎というのは、「本流」ではない人、
というイメージが長らくあった。
彼の芸術、とくに舞踊の素晴らしさは私も感じていて、
あの、静謐な一瞬一瞬を丁寧に重ねていく凄みは、
ほかでは味わえないものだと、80年代から思っていた。
だから「綺麗なだけ」だなどと軽く考えたことは全く一度もなかったが、
かと言って、例えば私の長年の贔屓の尾上菊五郎と、
同じ次元で語れる役者だとも考えられなかった。
どちらが上とか下とかではなく、所属する流派が別という気がしていた。
それと同時に、日頃歌舞伎など「退屈」と言って話も聞かない人に限って、
「でも、新橋演舞場の孝玉(当時の孝夫・玉三郎コンビ)だけは観たい!」
などと言うので、私には昔から、なんとなくイヤな気分があった。
そして私の周囲に限って言えば、児太郎(現・福助)の美しさや、
勘九郎(現・勘三郎)の楽しさに惹かれて歌舞伎を見始めた人は
すぐさま、その他の歌舞伎の舞台も幅広く観るようになるのに、
孝玉コンビが入り口だった人は、いつまでも孝玉中心にしか観ず、
孝玉孝玉、と彼らの話しかしなかった。
そのことも、私には不可解であり、微かに不愉快でもあった。
こうした、私の長年の「引っかかり」「わだかまり」が何であったのかが、
この『坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道』を読んで、わかった。
80年代に私の観劇仲間だった、二世代近く上の年齢の人たちが
なぜ、玉三郎と歌右衛門の関係を特異な目で見ていたのか、
そのあたりのニュアンスも、この本を読むことで確認できた。
いずれ、改めて感想を書きたいと思っている。